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6回の調査成果をまとめ、蝦夷地の様子を伝える

ページID:0108390 更新日:2014年1月18日更新 印刷ページ表示

蝦夷地の様子を伝える

 28歳から41歳までの間、6度に渡っておこなわれた蝦夷地の調査は、その調査の記録を6回分をすべてあわせると151冊にのぼりました。
 このほかにも、膨大な著作や出版物から、作家でもあり、出版者でもあった武四郎の業績を知ることができます。
 武四郎の著作の中で、アイヌ文化を紹介するため、絵入りでわかりやすくアイヌの人びとの暮らしを描いた「蝦夷漫画」や、アイヌの人びとの姿をありのままに記すことに努めた「近世蝦夷人物誌」は、文化が異なるアイヌの人びとへの正しい理解を訴えるものでした。
 また、武四郎は、蝦夷地の詳細な調査記録を著わすだけでなく、一般の人びとでも読みやすいようにまとめなおし、親しんでもらえるよう挿絵をふんだんに使った本を次々と出版します。地域ごとにシリーズ化された蝦夷地の紀行本を読んだ人たちは、蝦夷地の地理や動植物、アイヌ民族の文化を細かく知ることができました。
 こうした武四郎の出版活動は、多くの人びとに蝦夷地の様子を伝える上で、大変大きな効果がありました。

東西蝦夷山川地理取調図

東西蝦夷山川地理取調図の画像

東西蝦夷山川地理取調図 四
 写真は安政6年(1859年)、武四郎が出版した北海道(国後島、択捉島を含む)の切図(部分図)で、経度・緯度各1度ずつをもって1枚とし、全28冊からなっています。
 26冊が折りたたみ式の地図で、写真のように開いてつなげていくと、縦が2m40cm、横が3m60cmになり、これに「首」(凡例)と「尾」(地名を解説したもの)の2冊が付きます。
 測量家ではない武四郎は、伊能忠敬、間宮林蔵が海岸線を測量したデータを活用して蝦夷地の輪郭をあらわしたとされ、内陸部は自らの6度にわたる調査の成果をもとに作成しました。内陸部をこれだけ詳細に表し、かつ一般の人びとでも手にすることができるよう出版したことで、多くの人びとが蝦夷地の様子を知ることができました。

北蝦夷山川地理取調図(樺太南部)

武四郎自筆のカラフト(現在のサハリン)地図
 写真は武四郎自筆のカラフト(現在のサハリン)地図です。
 「東西蝦夷山川地理取調図」と同じ方法で制作されたものですが、ロシアとの対外関係を考慮して出版ができなかったのか、武四郎の手書きのものだけが、国内に10点ほど存在しています。

※当時幕府はカラフトを「北蝦夷地」と呼んでいました。

アイヌ文化のミニ百科事典「蝦夷漫画」

アイヌ文化のミニ百科事典「蝦夷漫画」
 蝦夷漫画は安政6年(1859年)に武四郎が出版した本で、アイヌの人びとの暮らしを図入りでわかりやすく紹介したものです。
 絵の得意な武四郎でしたが、「蝦夷漫画」はその図のほとんどを、武四郎よりも前に蝦夷地を調査し、アイヌ民族の暮らしを描いた村上島之允(秦檍麿)の「蝦夷島奇観」から引用しています。村上島之允は伊勢の出身ですが、その業績はあまり知られていません。武四郎は、同郷の先輩による優れた仕事に対して、尊敬の念を込めて引用したのかもしれません。

蝦夷闔境山川地理取調大概図

蝦夷闔境山川地理取調大概図の画像
 安政7年(1860年)に出版された蝦夷地、カラフト(現在のサハリン)、千島列島を含む北方地域が一目でわかる小型の地図で、「東西蝦夷山川地理取調図」や「北蝦夷山川地理取調図」を一枚に凝縮した地図といえます。

北蝦夷余誌

北蝦夷余誌
 当時「北蝦夷地」と呼ばれていたカラフト(現在のサハリン)南部を調査した際の記録を、読みやすくまとめなおした紀行本です。
 写真は、カラフトで暮らすアイヌの男性が武四郎を案内している場面ですが、その後ろにはウィルタ民族や、ニヴフ民族といった北方民族の姿が描かれています。
 当時は、カラフト南部にはアイヌ民族が、中部以北にウィルタ民族、北部からアムール川流域にかけてニヴフ民族が暮らしており、武四郎も調査の中でこれらの人びとと出会い、文化の違いを記録しています。

武四郎の蝦夷地に関する出版物

武四郎の蝦夷地に関する出版物の画像
 武四郎は、地域ごとにまとめた紀行本として、「北蝦夷余誌」、「後方羊蹄日誌」、「石狩日誌」、「久摺日誌」、「十勝日誌」、「夕張日誌」、「納沙布日誌」、「知床日誌」、「天塩日誌」を出版しました。
 また、蝦夷地を東西に分けて沿岸部の様子をまとめた紀行本を、「東蝦夷日誌」(全8編)、「西蝦夷日誌」(全6編)として出版しています。
 これらは、「東西蝦夷山川地理取調紀行」と呼ばれるシリーズとして出版され、ほかにも蝦夷地の知名や歴史を紹介した本などを多数出版しました。
 とりわけ紀行本は「武四郎物」と呼ばれて、当時人気があったようで、多くの人びとに蝦夷地に関心をもってもらえるよう挿絵を多数取り入れ、自分の下絵をもとに当時活躍していた画家に絵を描いてもらい、有名な歌人に和歌を寄せてもらうなど、親しんで読んでもらうための工夫が施されていました。

近世蝦夷人物誌

近世蝦夷人物誌の画像
 武四郎はアイヌ民族の姿をありのままに伝えようと、調査で出会ったアイヌの人びとのことを見たまま、聞いたままに記し、「近世蝦夷人物誌」と題しました。
 3編99話の話の中で、勇敢な男性や、親孝行な女性、聡明な長老などとともに、松前藩の役人や商人たちによって苦しめられるアイヌの人びとの姿を克明に記しています。
 ありのままに記すという方法を貫き、ひどい行いをする役人や商人をも実名で記したためか、安政5年(1858年)に出版の許可を願い出ましたが、幕府の箱館奉行はその出版を許可しませんでした。現在、「アイヌ人物誌」という書名で、平凡社ライブラリーから現代語訳が出版されています。