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70歳の武四郎は、大台ヶ原登山の後、富士山へも登っています。
明治21年(1888年)、武四郎は4回目の大台ケ原登山を計画していたと言われていますが、2月10日、東京の神田五軒町にある自宅で脳溢血により亡くなりました。
武四郎が危篤である知らせを聞いた明治政府は、特別に従五位の位を贈ります。
「花咲てまた立出ん旅心 七十八十路身は老ぬとも」
これは、明治20年3月22日、70歳の武四郎が生涯最後となる旅を前に詠んだ和歌ですが、71歳の生涯は、まさに旅そのものであったと言ってよいでしょう。
幕末から明治維新という、日本の歴史の中でも大きな転換期に、旅行家・探検家、作家、出版者、学者としての顔を持ち、たぐいまれなる知識欲と冒険心で多芸多才ぶりを発揮した松浦武四郎。
さまざまな価値観を受け入れる広い心、偏見を持たない眼、常に先を切り拓く力・・・一人の歩みが大きな足跡となって、今もなおその輝きを放ち続けています。