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略年表

ページID:0113302 更新日:2012年7月25日更新 印刷ページ表示

武四郎の生涯を4つの時期に分けて紹介しています。ご覧になりたい時期をクリックして下さい。

※年齢はすべて数え年で表記しました。
※年号は生年を除いて、その年の途中で改元になった場合は、新しい年号で表記しました。

諸国遍歴
西暦 年号 日本の主な出来事 武四郎の主な出来事 年齢
1818 文化15 伊能忠敬没 松浦時春(桂介)の四男として「竹四郎」が誕生 1歳
1821 文政4 「大日本沿海輿地全図」完成   4歳
1824 文政7   近くの寺で読み書きを習い、「名所図会」を愛読 7歳
1825 文政8 異国船打払令   8歳
1828 文政11 シーボルト事件   11歳
1830 天保元 文政のおかげ参り 津藩平松楽斎の私塾に学ぶ(~16歳) 13歳
1833 天保4 天保の大飢饉(~39) 手紙を残して突然家出→江戸で見つかり連れ戻される 16歳
1834 天保5 水野忠邦老中就任 全国を巡る旅に出る。近畿→中国→四国→近畿 17歳
1835 天保6   近畿→北陸→甲信越→東北→関東→中部→近畿→四国 18歳
1836 天保7   四国八十八ヶ所霊場巡礼→近畿→山陰→山陽(鞆の浦) 19歳
1837 天保8 大塩平八郎の乱、モリソン号事件 山陽→九州一周 20歳
1838 天保9   長崎で大病、「禅林寺」で出家し僧侶「文桂」となる 21歳
1839 天保10 蛮社の獄(渡辺崋山、高野長英ら逮捕) 平戸の「千光寺」で住職を務める(24歳まで) 22歳
1840 天保11 清、イギリスとアヘン戦争(~42)   23歳
1841 天保12 天保の改革(水野忠邦)   24歳
1842 天保13 天保の薪水給与令 対馬から朝鮮半島へ渡ろうとしたが果たせず 25歳
1843 天保14 老中阿部正弘 長崎でロシア南下の危機を知り、一転蝦夷地を目指す、郷里へ戻り参宮と父母の墓に参る、「西海雑誌」を著す 26歳
1844 弘化元 フランス船琉球来航、オランダ国王開国勧告 郷里で「四国遍路道中雑誌」を執筆、青森鰺ヶ沢まで行き蝦夷地を目指すが、松前藩の取締りが厳しく果たせず 27歳
蝦夷地調査と志士としての活動
西暦 年号 日本の主な出来事 武四郎の主な出来事 年齢
1845 弘化2 イギリス船琉球来航 第1回蝦夷地探査。商人和賀屋孫兵衛の手代に身を変え、函館→森→有珠→室蘭→襟裳→釧路→厚岸→知床→根室→函館を巡る 28歳
1846 弘化3 米使ビッドル浦賀来航 第2回蝦夷地探査。松前藩医西川春庵の下僕「雲平」として、江差→宗谷→樺太→宗谷→紋別→知床→宗谷→石狩→千歳→江差を巡る、江差では志士頼三樹三郎と「一日百印百詩の会」を催す
 
29歳
1849 嘉永2 嶺田楓江「海外新話」(アヘン戦争を記す)を著し、幕府より絶版、江戸から追放 第3回蝦夷地探査。函館から船で国後島、択捉島へ渡る 32歳
1850 嘉永3   「初航蝦夷日誌」全12冊・「再航蝦夷日誌」全14冊・「三航蝦夷日誌」全8冊が完成、「蝦夷大概図」・「新葉和歌集」を出版 33歳
1851 嘉永4   「蝦夷沿革図」・「表忠崇義集」を出版、「断璧残圭」・「盍徹問答」・「婆心録」を復刻 34歳
1853 嘉永6 6月アメリカのペリー浦賀に来航、7月ロシアのプチャーチン長崎に来航 吉田松陰と海防問題を語り合う、「読史贅議」を復刻 36歳
1854 安政元 ペリー再航、日米和親条約、日露和親条約(幕府は日露国境の画定を迫られる) 宇和島藩の依頼により下田でペリー一行の様子を調査(「下田日誌」)、「壺の石(蝦夷地)」を出版 37歳
1855 安政2 蝦夷地を松前藩領から幕府に再直轄、日蘭和親条約 幕府から蝦夷地御用御雇入の命を受ける、「後方羊蹄於路志」・「於幾能以志」を出版 38歳
1856 安政3 アメリカ総領事ハリス着任 第4回蝦夷地探査。函館→宗谷→樺太→宗谷→函館を巡る、「箱館往来」を出版 39歳
1857 安政4 下田協約調印 第5回蝦夷地探査。函館→石狩→上川→天塩→函館を巡る、「蝦夷葉那誌」・「新選末和留辺志」を出版 40歳
1858 安政5 日米修好通商条約、井伊直弼による安政の大獄(~59) 第6回蝦夷地探査。北海道全ての海岸→十勝→阿寒→日高を巡る、「近世蝦夷人物誌」の出版が許可されず、「壺の石(北蝦夷地)」を出版 41歳
1859 安政6 安政の大獄により、吉田松陰、頼三樹三郎ら死刑 「按西・按東・按北扈従録」全32冊・「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」全23冊・「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」全62冊が完成、「東西蝦夷山川地理取調図」全28冊・「蝦夷漫画」・「蝦夷地名奈留辺志」を出版 42歳
1860 万延元 勝海舟ら咸臨丸で太平洋横断、桜田門外の変で井伊直弼暗殺 「北蝦夷余誌」・「蝦夷闔境山川地理取調大概図」を出版 43歳
1861 文久元 皇女和宮が将軍家茂へ降嫁 「後方羊蹄日誌」・「石狩日誌」・「久摺日誌」・「十勝日誌」を出版 44歳
1862 文久2 坂下門外の変 「夕張日誌」を出版 45歳
1863 文久3 薩英戦争 「納沙布日誌」・「知床日誌」・「天塩日誌」を出版 46歳
1864 元治元 四国連合艦隊が下関砲撃、幕府第一次長州征討 「鴨がい頼先生一日百詩」・「新板蝦夷土産道中寿五六」・「新板箱館道中名所寿語六」を出版 47歳
1865 慶応元 第二次長州征討 「西蝦夷日誌初編」・「同二編」・「東蝦夷日誌初編」・「同二編」を出版 48歳
1867 慶応3 10月大政奉還、12月王政復古の大号令   50歳
明治維新と開拓使での活動
西暦 年号 日本の主な出来事 武四郎の主な出来事 年齢
1868 慶応4=明治元 1月鳥羽伏見の戦(戊辰戦争)、3月神仏分離令(廃仏毀釈運動)、4月江戸開城、 閏4月上京の召書、東海道間道調べ、任徴士箱館府判官事 51歳
1869 明治2 1月版籍奉還上奏、3月東京遷都、5月榎本武揚ら箱館で降伏(戊辰戦争終了)、8月蝦夷地を北海道と改称 任開拓判官、道名・国名・郡名撰定に尽力、叙従五位、「蝦夷誌」を復刻、「北海道国郡図」・「北海道国郡略図」・「千島一覧扇面」・「西蝦夷日誌三編」・「東蝦夷日誌三編」・「同四編」を出版 52歳
1870 明治3   開拓判官辞職(従五位返上)、「蝦夷年代記」・「壺乃碑考」・「林氏雑纂」・「千島一覧」・「西蝦夷日誌四編」・「東蝦夷日記五編」を出版 53歳
晩年
西暦 年号 日本の主な出来事 武四郎の主な出来事 年齢
1871 明治4 寺領上知の令、廃藩置県、日清修好条規調印 「竹島雑誌」・「読史贅議逸編」・「西蝦夷日誌五編」・「東蝦夷日誌 六編」を出版 54歳
1872 明治5 学制公布、新橋・横浜間鉄道開通 「百蟲行」・「西蝦夷日誌六編」を出版 55歳
1873 明治6 徴兵令、地租改正条例、征韓論敗れる 伊勢度会県博覧会へ出品、岩倉具視邸内の長屋から神田五軒町へ引越し書画会を開く、「東蝦夷日誌七編」を出版 56歳
1874 明治7 佐賀の乱(島義勇死刑)   57歳
1875 明治8 樺太・千島交換条約、江華島事件 北野天満宮へ大神鏡を奉納 58歳
1876 明治9 日朝修好条規締結 上野東照宮へ大神鏡を奉納、「馬角斎茶余」を出版 59歳
1877 明治10 西南戦争、モースが大森貝塚発掘 考古図録といえる「撥雲余興」を出版 60歳
1878 明治11 大久保利通暗殺 「新獲小集」・「東蝦夷日誌八編」を出版 61歳
1879 明治12 教育令公布、沖縄県設置(琉球処分) 大阪天満宮へ大神鏡を奉納、妻と京都・吉野漫遊、「尚古杜多」(同題で二種類)を出版 62歳
1880 明治13 国会期成同盟結成 吉野の金峯山神社へ大神鏡を奉納、「そめかみ」・「松のけふり」・「庚辰游記」を出版 63歳
1881 明治14 国会開設勅諭、明治十四年の政変、自由党結成、松方財政、開拓使官有物払下事件 「辛巳游記」を出版 64歳
1882 明治15 井上馨が条約改正交渉、立憲改進党・立憲帝政党結成、日本銀行設立 太宰府天満宮へ大神鏡を奉納、「撥雲余興二集」・「壬午游記」を出版 65歳
1883 明治16 徴兵令改正、岩倉具視没 三井寺に鍋塚建立、熊本・宮崎を漫遊、「癸未溟志」・「癸未溟誌」を出版 66歳
1884 明治17 松方デフレで不況、秩父事件 高野山の骨堂に抜けた髪や歯を納め、近畿地方を巡る、「甲申小記」を出版 67歳
1885 明治18 天津条約調印、大阪事件、内閣制度創設 1月までに25霊社へ小神鏡と石標奉納、第1回大台ケ原探査、「乙酉掌記」・「乙酉後記」を出版 68歳
1886 明治19 学校令公布、北海道庁設置、星亨ら大同団結運動提唱 第2回大台ケ原探査、「聖跡二十五霊社順拝双六」・「丙戌前誌」・「丙戌後記」を出版 69歳
1887 明治20 伊藤博文が憲法起草開始、保安条例公布
(570名が東京追放)
第3回大台ケ原探査、東海・近畿・四国・山陽・九州を巡る、富士登山、畳一畳の書斎を建てる、「木片勧進」・「丁亥前記」・「丁亥後記」を出版 70歳
1888 明治21 市制・町村制公布、枢密院設置、 叙従五位、2月10日没、浅草称福寺に墓所(現在は東京染井墓地に移る)。※明治22年に大台ケ原へ追悼碑(分骨碑)が建立される 71歳

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