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※年齢はすべて数え年で表記しました。
※年号は生年を除いて、その年の途中で改元になった場合は、新しい年号で表記しました。
西暦 | 年号 | 日本の主な出来事 | 武四郎の主な出来事 | 年齢 |
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1818 | 文化15 | 伊能忠敬没 | 松浦時春(桂介)の四男として「竹四郎」が誕生 | 1歳 |
1821 | 文政4 | 「大日本沿海輿地全図」完成 | 4歳 | |
1824 | 文政7 | 近くの寺で読み書きを習い、「名所図会」を愛読 | 7歳 | |
1825 | 文政8 | 異国船打払令 | 8歳 | |
1828 | 文政11 | シーボルト事件 | 11歳 | |
1830 | 天保元 | 文政のおかげ参り | 津藩平松楽斎の私塾に学ぶ(~16歳) | 13歳 |
1833 | 天保4 | 天保の大飢饉(~39) | 手紙を残して突然家出→江戸で見つかり連れ戻される | 16歳 |
1834 | 天保5 | 水野忠邦老中就任 | 全国を巡る旅に出る。近畿→中国→四国→近畿 | 17歳 |
1835 | 天保6 | 近畿→北陸→甲信越→東北→関東→中部→近畿→四国 | 18歳 | |
1836 | 天保7 | 四国八十八ヶ所霊場巡礼→近畿→山陰→山陽(鞆の浦) | 19歳 | |
1837 | 天保8 | 大塩平八郎の乱、モリソン号事件 | 山陽→九州一周 | 20歳 |
1838 | 天保9 | 長崎で大病、「禅林寺」で出家し僧侶「文桂」となる | 21歳 | |
1839 | 天保10 | 蛮社の獄(渡辺崋山、高野長英ら逮捕) | 平戸の「千光寺」で住職を務める(24歳まで) | 22歳 |
1840 | 天保11 | 清、イギリスとアヘン戦争(~42) | 23歳 | |
1841 | 天保12 | 天保の改革(水野忠邦) | 24歳 | |
1842 | 天保13 | 天保の薪水給与令 | 対馬から朝鮮半島へ渡ろうとしたが果たせず | 25歳 |
1843 | 天保14 | 老中阿部正弘 | 長崎でロシア南下の危機を知り、一転蝦夷地を目指す、郷里へ戻り参宮と父母の墓に参る、「西海雑誌」を著す | 26歳 |
1844 | 弘化元 | フランス船琉球来航、オランダ国王開国勧告 | 郷里で「四国遍路道中雑誌」を執筆、青森鰺ヶ沢まで行き蝦夷地を目指すが、松前藩の取締りが厳しく果たせず | 27歳 |
西暦 | 年号 | 日本の主な出来事 | 武四郎の主な出来事 | 年齢 |
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1845 | 弘化2 | イギリス船琉球来航 | 第1回蝦夷地探査。商人和賀屋孫兵衛の手代に身を変え、函館→森→有珠→室蘭→襟裳→釧路→厚岸→知床→根室→函館を巡る | 28歳 |
1846 | 弘化3 | 米使ビッドル浦賀来航 | 第2回蝦夷地探査。松前藩医西川春庵の下僕「雲平」として、江差→宗谷→樺太→宗谷→紋別→知床→宗谷→石狩→千歳→江差を巡る、江差では志士頼三樹三郎と「一日百印百詩の会」を催す |
29歳 |
1849 | 嘉永2 | 嶺田楓江「海外新話」(アヘン戦争を記す)を著し、幕府より絶版、江戸から追放 | 第3回蝦夷地探査。函館から船で国後島、択捉島へ渡る | 32歳 |
1850 | 嘉永3 | 「初航蝦夷日誌」全12冊・「再航蝦夷日誌」全14冊・「三航蝦夷日誌」全8冊が完成、「蝦夷大概図」・「新葉和歌集」を出版 | 33歳 | |
1851 | 嘉永4 | 「蝦夷沿革図」・「表忠崇義集」を出版、「断璧残圭」・「盍徹問答」・「婆心録」を復刻 | 34歳 | |
1853 | 嘉永6 | 6月アメリカのペリー浦賀に来航、7月ロシアのプチャーチン長崎に来航 | 吉田松陰と海防問題を語り合う、「読史贅議」を復刻 | 36歳 |
1854 | 安政元 | ペリー再航、日米和親条約、日露和親条約(幕府は日露国境の画定を迫られる) | 宇和島藩の依頼により下田でペリー一行の様子を調査(「下田日誌」)、「壺の石(蝦夷地)」を出版 | 37歳 |
1855 | 安政2 | 蝦夷地を松前藩領から幕府に再直轄、日蘭和親条約 | 幕府から蝦夷地御用御雇入の命を受ける、「後方羊蹄於路志」・「於幾能以志」を出版 | 38歳 |
1856 | 安政3 | アメリカ総領事ハリス着任 | 第4回蝦夷地探査。函館→宗谷→樺太→宗谷→函館を巡る、「箱館往来」を出版 | 39歳 |
1857 | 安政4 | 下田協約調印 | 第5回蝦夷地探査。函館→石狩→上川→天塩→函館を巡る、「蝦夷葉那誌」・「新選末和留辺志」を出版 | 40歳 |
1858 | 安政5 | 日米修好通商条約、井伊直弼による安政の大獄(~59) | 第6回蝦夷地探査。北海道全ての海岸→十勝→阿寒→日高を巡る、「近世蝦夷人物誌」の出版が許可されず、「壺の石(北蝦夷地)」を出版 | 41歳 |
1859 | 安政6 | 安政の大獄により、吉田松陰、頼三樹三郎ら死刑 | 「按西・按東・按北扈従録」全32冊・「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」全23冊・「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」全62冊が完成、「東西蝦夷山川地理取調図」全28冊・「蝦夷漫画」・「蝦夷地名奈留辺志」を出版 | 42歳 |
1860 | 万延元 | 勝海舟ら咸臨丸で太平洋横断、桜田門外の変で井伊直弼暗殺 | 「北蝦夷余誌」・「蝦夷闔境山川地理取調大概図」を出版 | 43歳 |
1861 | 文久元 | 皇女和宮が将軍家茂へ降嫁 | 「後方羊蹄日誌」・「石狩日誌」・「久摺日誌」・「十勝日誌」を出版 | 44歳 |
1862 | 文久2 | 坂下門外の変 | 「夕張日誌」を出版 | 45歳 |
1863 | 文久3 | 薩英戦争 | 「納沙布日誌」・「知床日誌」・「天塩日誌」を出版 | 46歳 |
1864 | 元治元 | 四国連合艦隊が下関砲撃、幕府第一次長州征討 | 「鴨がい頼先生一日百詩」・「新板蝦夷土産道中寿五六」・「新板箱館道中名所寿語六」を出版 | 47歳 |
1865 | 慶応元 | 第二次長州征討 | 「西蝦夷日誌初編」・「同二編」・「東蝦夷日誌初編」・「同二編」を出版 | 48歳 |
1867 | 慶応3 | 10月大政奉還、12月王政復古の大号令 | 50歳 |
西暦 | 年号 | 日本の主な出来事 | 武四郎の主な出来事 | 年齢 |
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1868 | 慶応4=明治元 | 1月鳥羽伏見の戦(戊辰戦争)、3月神仏分離令(廃仏毀釈運動)、4月江戸開城、 | 閏4月上京の召書、東海道間道調べ、任徴士箱館府判官事 | 51歳 |
1869 | 明治2 | 1月版籍奉還上奏、3月東京遷都、5月榎本武揚ら箱館で降伏(戊辰戦争終了)、8月蝦夷地を北海道と改称 | 任開拓判官、道名・国名・郡名撰定に尽力、叙従五位、「蝦夷誌」を復刻、「北海道国郡図」・「北海道国郡略図」・「千島一覧扇面」・「西蝦夷日誌三編」・「東蝦夷日誌三編」・「同四編」を出版 | 52歳 |
1870 | 明治3 | 開拓判官辞職(従五位返上)、「蝦夷年代記」・「壺乃碑考」・「林氏雑纂」・「千島一覧」・「西蝦夷日誌四編」・「東蝦夷日記五編」を出版 | 53歳 |
西暦 | 年号 | 日本の主な出来事 | 武四郎の主な出来事 | 年齢 |
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1871 | 明治4 | 寺領上知の令、廃藩置県、日清修好条規調印 | 「竹島雑誌」・「読史贅議逸編」・「西蝦夷日誌五編」・「東蝦夷日誌 六編」を出版 | 54歳 |
1872 | 明治5 | 学制公布、新橋・横浜間鉄道開通 | 「百蟲行」・「西蝦夷日誌六編」を出版 | 55歳 |
1873 | 明治6 | 徴兵令、地租改正条例、征韓論敗れる | 伊勢度会県博覧会へ出品、岩倉具視邸内の長屋から神田五軒町へ引越し書画会を開く、「東蝦夷日誌七編」を出版 | 56歳 |
1874 | 明治7 | 佐賀の乱(島義勇死刑) | 57歳 | |
1875 | 明治8 | 樺太・千島交換条約、江華島事件 | 北野天満宮へ大神鏡を奉納 | 58歳 |
1876 | 明治9 | 日朝修好条規締結 | 上野東照宮へ大神鏡を奉納、「馬角斎茶余」を出版 | 59歳 |
1877 | 明治10 | 西南戦争、モースが大森貝塚発掘 | 考古図録といえる「撥雲余興」を出版 | 60歳 |
1878 | 明治11 | 大久保利通暗殺 | 「新獲小集」・「東蝦夷日誌八編」を出版 | 61歳 |
1879 | 明治12 | 教育令公布、沖縄県設置(琉球処分) | 大阪天満宮へ大神鏡を奉納、妻と京都・吉野漫遊、「尚古杜多」(同題で二種類)を出版 | 62歳 |
1880 | 明治13 | 国会期成同盟結成 | 吉野の金峯山神社へ大神鏡を奉納、「そめかみ」・「松のけふり」・「庚辰游記」を出版 | 63歳 |
1881 | 明治14 | 国会開設勅諭、明治十四年の政変、自由党結成、松方財政、開拓使官有物払下事件 | 「辛巳游記」を出版 | 64歳 |
1882 | 明治15 | 井上馨が条約改正交渉、立憲改進党・立憲帝政党結成、日本銀行設立 | 太宰府天満宮へ大神鏡を奉納、「撥雲余興二集」・「壬午游記」を出版 | 65歳 |
1883 | 明治16 | 徴兵令改正、岩倉具視没 | 三井寺に鍋塚建立、熊本・宮崎を漫遊、「癸未溟志」・「癸未溟誌」を出版 | 66歳 |
1884 | 明治17 | 松方デフレで不況、秩父事件 | 高野山の骨堂に抜けた髪や歯を納め、近畿地方を巡る、「甲申小記」を出版 | 67歳 |
1885 | 明治18 | 天津条約調印、大阪事件、内閣制度創設 | 1月までに25霊社へ小神鏡と石標奉納、第1回大台ケ原探査、「乙酉掌記」・「乙酉後記」を出版 | 68歳 |
1886 | 明治19 | 学校令公布、北海道庁設置、星亨ら大同団結運動提唱 | 第2回大台ケ原探査、「聖跡二十五霊社順拝双六」・「丙戌前誌」・「丙戌後記」を出版 | 69歳 |
1887 | 明治20 | 伊藤博文が憲法起草開始、保安条例公布 (570名が東京追放) |
第3回大台ケ原探査、東海・近畿・四国・山陽・九州を巡る、富士登山、畳一畳の書斎を建てる、「木片勧進」・「丁亥前記」・「丁亥後記」を出版 | 70歳 |
1888 | 明治21 | 市制・町村制公布、枢密院設置、 | 叙従五位、2月10日没、浅草称福寺に墓所(現在は東京染井墓地に移る)。※明治22年に大台ケ原へ追悼碑(分骨碑)が建立される | 71歳 |
松阪市 教育委員会 文化課
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