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27歳で蝦夷地へと旅立った武四郎でしたが、当時松前藩の領地となっていた蝦夷地へ渡るには厳しい取締りがあり、その決意が実を結んだのは1年後のことでした。ようやく蝦夷地に向かう船に乗ることができましたが、当時、津軽海峡を越えて蝦夷地に渡ることは簡単なことではありませんでした。28歳ではじめて蝦夷地へ渡ることができた武四郎は、函館から太平洋側の海岸線を歩いて知床岬まで行き、そこに、「勢州一志郡雲出川南 松浦竹四郎」などと記した標柱を建て、函館に戻りました。
※函館は当時は「箱館」と書きましたが、ここでは現在の函館の字を使うことにします。
初めての蝦夷地調査で、武四郎は函館から太平洋側の海岸線を歩いて知床岬へと達しました。武四郎は古くから独自の文化を育んできたアイヌの人々に案内をしてもらいながら、調査を進めました。