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松浦武四郎記念館で書籍(資料)やオリジナルグッズを販売しています。通信販売もしています。
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資料写真とともに松浦武四郎の生涯を紹介した22ページの図録。
松阪市の松浦家(武四郎の実家)に伝来した資料群の目録です。
※武四郎直系の子孫(東京の松浦家)に伝来した資料はこの目録には含まれていません。
安政三年(1856)に武四郎が第4回目の蝦夷地調査で、北海道の日本海側の海岸線を調査した際の調査記録の原文を活字化したものです。
安政三年(1856)に武四郎が第4回目の蝦夷地調査で、北蝦夷地(樺太南部)の海岸線を調査した際の調査記録の原文を活字化したものです。
安政三年(1856)に武四郎が第4回目の蝦夷地調査で、北海道の太平洋側の海岸線とオホーツク海側の海岸線を調査した際の調査記録の原文を活字化したものです。
これまでに発表されなかった明治十八年(1885)から二十年(1887)にかけて、武四郎が3回の大台ヶ原登山を行った際の自筆旅行記を活字化したもの。武四郎が当時出版した刊行本には見られない記述が多数あります。
これまでに発表されなかった明治十五年(1883)の武四郎の自筆旅行記を活字化したもので、東京から兵庫、山陰地方、福岡・太宰府神社への神鏡奉納などが、挿絵とともに詳細に記録されています。
これまでに発表されなかった明治十四年(1882)の武四郎の自筆旅行記を活字化したもので、京都から福岡までの菅原道真にゆかりの25ヵ所の天満宮を巡る旅と、奈良の吉野・金峯山寺蔵王堂への神鏡奉納などが詳細に記録されています。
明治十三年(1881)の大峰奥駈修行の記録。
明治十六年(1884)、東京から鹿児島までの旅行記。
西郷隆盛の墓参りや、五家荘周遊、天神・天満宮めぐる旅の詳細な記録が書かれています。
明治十七年(1885)の東京から兵庫までの旅行記。
近畿地方を中心に小神鏡の奉納や石柱建立、文化財拝観の旅の詳細な記録が書かれています。
明治2年の「東海道間道」調査の報文日誌である東海道山すじ日記(稿本)、
三峯山登山・秩父三十四観音霊場巡りの旅記録である乙酉後記(稿本)や
8月21日~29日の9日間の旅行日誌である丁亥後記(稿本)、
さらに附録として刊本「乙酉後記」「丙戌後記」「丁亥後記」の影印も収録された本。
天保5年~7年の四国八十八か所お遍路参りの記録。
嘉永2年の三度目の蝦夷地調査を終えた後の青森から岩手までの旅の記録「鹿角日誌」と、
壺の碑がどこにあるのか考察した稿本「壺の碑考」、
附録として東北のスケッチ集である奥州名山図譜の影印を収録した本。
武四郎が生まれた松阪市三雲地域(旧三雲町)の歴史が詳しく書かれています。
第一巻(通史編)には第三巻(資料編2)で収録できなかった武四郎の書簡の一部が収録されています。
武四郎が生まれた松阪市三雲地域(旧三雲町)の歴史が詳しく書かれています。
第二巻(資料編1)は、考古資料や古代から近代に至る地元に伝来した文書資料が多数収録されています。
※松浦武四郎に関係する資料はこの巻には含まれていません
武四郎が生まれた松阪市三雲地域(旧三雲町)の歴史が詳しく書かれています。
第三巻(資料編2)は、武四郎が記した書簡の内容が、他機関所蔵のものも含めて多数収録されています。
武四郎が安政7年(1860)に刊行した蝦夷地(北海道)、千島列島、樺太(サハリン)をコンパクトにまとめた地図を図柄にした一筆箋です。
武四郎が安政6年(1859)に出版したアイヌ文化のミニ百科事典『蝦夷漫画』からアイヌ民族の踊り「鶴の舞」を図柄にした一筆箋です。
武四郎が安政7年(1860)に出版したカラフト南部の紀行本『北蝦夷余誌』からアイヌ民族と調査をする武四郎の姿を描いた挿絵を図柄にした一筆箋です。
平成20年(2008)7月に指定された重要文化財「松浦武四郎関係資料」1503点のうち、代表的な資料を武四郎の生涯とともにわかりやすく紹介した冊子です。資料がどのように現在まで伝えられてきたかも紹介しています。
安政六年(1859)に武四郎が出版した著書の復刻版で、アイヌ文化を絵でわかりやすく紹介しており、アイヌ文化のミニ百科事典ともいわれています。詳しくわかりやすい解説も付いています。
明治十二年(1880)の東京から兵庫までの旅行記。
娘「一志」の七回忌法要や大阪天満宮のへの大神鏡奉納、妻「とふ」との名所旧跡めぐりの詳細な記録が書かれています。