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長崎にいたころ、日本の北の地域に、ロシアの船が接近しているという話を聞いたことが、武四郎の人生に大きな転機をもたらしたと考えられます。
ロシアが蝦夷地(今の北海道)を狙っているのではないかという話に、日本の危機を心配する強い思いにかられた武四郎は、一般の人びとにはまだ詳しいことがわからなかった蝦夷地へと行き、日本の北の地域がどんなところであるかを自分の目で確かめ、多くの人びとに伝えようと心に決めたのでした。
それは、天保14年(1843年)のことで、武四郎は26歳になっていました。
ほぼ9年ぶりに実家に帰ってきましたが、すでに父と母は亡くなっていました。
武四郎は実家に戻ったときに、四国や九州を旅した時の紀行文を書いています。
四国遍路道中雑誌は、四国八十八カ所霊場を回った時の紀行文で、江戸時代の四国各地の様子が記されたもので、写真は霊山として山岳信仰のあった剣山の景色を描いたページを写したものです。