伊勢の王墓 宝塚古墳

印刷用ページを表示する掲載日:2012年6月1日更新

 宝塚古墳は、松阪の市街地から南に3kmほど離れた丘陵上にあります。1号墳と2号墳からなる古墳で、昭和7(1932)年に国史跡に指定されました。かつて周囲には、下図のようにたくさんの古墳が存在したことが知られていますが、残念ながら開発により、そのほとんどが姿を消してしまいました。

昭和7年当時における宝塚古墳周辺の古墳分布(現在の地形図に合成)
昭和7年当時古墳群

 平成11(1999)年から、古墳を保存・整備する手がかりを得る目的で、松阪市が発掘調査をおこなったところ、1号墳造り出しで類例のない姿の船形(ふねがた)埴輪が発見され、全国的に注目を集めました。船形埴輪をはじめとする宝塚1号墳出土品は、当時の姿をよくとどめており、古墳時代を研究するうえで貴重な資料であるとの評価をうけ、平成18(2006)年に国重要文化財に指定されました。

宝塚古墳が造られた時代/古墳に葬られた人物

 今からおよそ1700年前、各地で古墳がつくられるようになりました。古墳とは、土を盛りあげてつくった墓のことで、そこにはクニや地域の王・指導者やその一族が葬られました。古墳はおよそ300年間つくり続けられ、各地に大小さまざまな古墳がたくさんつくられたので、歴史学や考古学では、その時期を古墳時代と呼びます。

 古墳づくりには、当時の最新技術が使われ、多くの人びとが古墳づくりに参加しました。実際に死者を葬るときには、さまざまな儀式が行われ、死者とともにたくさんの道具やアクセサリーなども納められました。

 ひとくちに古墳といっても、さまざまな形のものがつくられました。古墳の形は、葬られた人物の力の大きさによって決まっていたと考えられています。古墳時代の全時期を通して伊勢国最大の前方後円墳である宝塚1号墳は、伊勢の王墓として他を圧倒する規模をもちます。前方後円墳をつくることができたのは、ヤマト王権とそれに関係する限られた人物であったと考えられており、当時の社会情勢などから、宝塚1号墳に葬られた人物は、近畿地方との深いつながりをもち、近畿地方から東国への玄関口にあたる伊勢湾西岸の広い範囲を支配する立場にあった人物と推定されています。

古墳の名称について

 昭和4(1929)年、三重県を代表する郷土史家  鈴木敏雄氏がおこなった、飯南郡花岡村(当時)遺跡調査の際、村人から聴き取った「宝塚」が古墳の名称となりました。 この鈴木氏の調査が契機となり、昭和7(1932)年には宝塚1号墳及び2号墳は国史跡に指定され、現在まで保存されることとなったのです。

宝塚1号墳

整備された宝塚1号墳
宝塚1号墳 現在の様子

発掘調査成果をもとに作成した宝塚1号墳のすがた
1号墳模型

 宝塚1号墳は、5世紀初頭(およそ1600年前)につくられた、伊勢地方で最大(全長111m・前方部最大幅66m・後円部直径75m・最大高10m)の前方後円墳です。古墳の北側には、マツリの場とされる「造り出し」と呼ばれる幅約18m・奥行き約16mの舞台状の場所が設けられ、古墳本体とは土橋でつながっています。これは、「造り出し」という「マツリの空間」が定型化していく過程のものとして、また当時の古墳での祭祀(さいし)の形態を考える上で極めて重要な発見であるといえます。この造り出しの周囲から140点もの埴輪が当時置かれた位置を保った状態で発見され、埴輪群の配列など、古墳でおこなわれたマツリのようすを研究するうえで大変重要な資料となりました。

宝塚2号墳

整備された宝塚2号墳
宝塚2号墳

発掘調査成果をもとに作成した宝塚2号墳のすがた
2号墳模型

 宝塚2号墳は、5世紀前半頃に造られた、前方部が短い「帆立貝式(ほたてがいしき)」と呼ばれる前方後円墳です。発掘調査の結果、前方部が道路工事で削られていることがわかりました。しかし、道路の反対側で前方部の角を見つけることができたので、古墳の正確な大きさを知ることができました。また、古墳の頂上では、死者を葬った後にその上で儀式をおこなった場所と考えられる、小石が敷きつめられた区画がみつかりました。2号墳では、1号墳でみつかった壷形(つぼがた)埴輪はみつかっていません。その代わりに、壷形埴輪と円筒(えんとう)埴輪が一体化した朝顔形埴輪がみつかっています。このようなことから、2号墳は1号墳に葬られた人物の後継者の墓であると考えられます。

宝塚1号墳・2号墳の平面図
宝塚古墳復元図

宝塚古墳の出土品

 平成11(1999)年に着手した発掘調査では、1号墳「造り出し」で他に類例のない姿の船形埴輪が見つかり、全国的に注目を集めることとなりました。この埴輪は、全長140cmとわが国最大規模で、船上に立体的な飾り物を樹立する形としては唯一のものです。この船は、古墳に葬られた人物の生前の業績をあらわしているという考えと、魂をあの世に運ぶ「葬送船(そうそうせん)」であるという考えがあります。船形埴輪のほかにも、円筒・壷・蓋(きぬがさ)・盾(たて)・囲(かこい)・柱状・短甲(たんこう)・家などさまざまなものの形をかたどった埴輪が出土しました。当時(約1600年前)の姿をよくとどめた、多種多様な形象埴輪が畿内以外の地域で見つかる例はめずらしく、この地域の古墳時代を研究する上で貴重な文化財であるといえます。宝塚1号墳出土品は平成18(2006)年に国重要文化財に指定されました。埴輪の一部は、松阪市文化財センター「はにわ館」で展示していますので、ぜひご覧ください。

船形埴輪
船形埴輪

囲形埴輪
囲形埴輪

家形埴輪
家形埴輪

蓋形埴輪
蓋形

宝塚古墳へのアクセス         

松阪駅から

鈴の音バス「市街地循環線 左回り」乗車 約30分 『山室山小学校口』下車 徒歩5分

タクシー利用 約20分

自動車

伊勢自動車道 松阪インターチェンジから 約20分

宝塚古墳についてのお問合せ先

松阪市教育委員会  文化課 文化財係
〒515-8515
三重県松阪市殿町1315-3
Tel 0598-53-4397 
Fax 0598-25-0133

松阪市文化財センター
〒515-0821
三重県松阪市外五曲町1番地
Tel 0598-26-7330
Fax 0598-26-7374

宝塚古墳地図情報

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