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【その2】 文明開化と牛鍋(ぎゅうなべ)

松阪牛の歴史

文明開化と牛鍋(ぎゅうなべ)


山路徳三郎と牛追い道中記

明治初期、肉食の風潮は文明開化のシンボルとされました。
当時大流行したのが「牛鍋」というもので、現在のすき焼きの始まりとされますが、
材料はぶつ切りにした牛肉と五分(約1.5cm)の長さに切り揃えたネギのみで、
これらを鉄鍋で焼き、最初のうちは割り下を用いず、
牡丹鍋(イノシシ肉を用いる)風に味噌仕立てにしていたそうです。
この牛鍋の名は東京から全国へと広まっていきました。
しかし大正12年(1923年)の関東大震災で東京の牛鍋屋が凋落すると、
その後に関西の「すき焼き」が広まり、すき焼きという呼び名が全国共通となったのです。

一方、松阪の肉牛を全国に広めたのは、東京での販路を拡大するために松阪近隣から牛を集め、
徒歩で一路東京を目指した、先覚者山路徳三郎による「牛追い道中」と呼ばれる大行進がきっかけでした。

「牛追い道中」は汽車も自動車もない明治5年(1872年)より始まり、
同10年(1877年)以降はほとんど隔月に行なわれ、二十数年間にも及び、
牛数十頭を引き連れた行列の壮挙は松阪牛の名前を大いに広めるきっかけとなりました。


鉄道の発達による大型貨車輸送の開始もあり、明治30年代にはついに終止符が打たれましたが、
その後も鹿鳴館や高級料理店などから特別に依頼され、この良質牛を貨車で送り続けていたのです。
このことから、松阪地方の肉牛の優秀性が当時から東京で認められていたと言えます。

牛追い道中工程図

牛追い道中行程図(伊勢文化舎『松阪牛 牛飼いの詩』より)


【その3】 松阪肉牛共進会

【その1】 松阪牛のふるさと但馬 
【その4】 世界のブランド「松阪牛」 
【その5】 松阪牛の歴史年表

【はじめに】 松阪牛ヒストリー

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