トップページ > 松阪牛 > 松阪牛の資料 > 松阪牛ヒストリー > 【その1】 松阪牛のふるさと但馬

【その1】 松阪牛のふるさと但馬

松阪牛の歴史

松阪牛のふるさと但馬

松阪牛のおこり

松阪地方は伊勢平野の中央に位置する農耕の盛んな地域で、
農業が機械化される以前に、農機具等を引くなど力仕事を任されていたのが牛なのです。
そしてその多くが、古くから役牛として優れた素質をもっていた、
兵庫県の但馬地方で生まれた若い雌牛でした。
但馬地方は兵庫県の北部、昔の但馬の国。
現在の3市1郡(豊岡市、美方郡、養父市、朝来市)を指します。
日本海に注ぐ円山川の本流沿い、豊岡市周辺には緑色の農地が広がりますが、
平地は岸田川、矢田川、竹野川など河口付近だけであとは山。
しかし昼間と朝夕の気温差が大きいことから夜露でやわらかい草が多く、
この山と豊富な草、きれいな水という風土の恵みで資質の優れた但馬牛ができるのです。

兵庫県の和牛産地地図
【兵庫県の和牛産地(伊勢文化舎『松阪牛 牛飼いの詩』より)】

江戸時代、この雌の子牛は大阪を通って紀州に入り、
紀ノ川沿いの農村に連れて来られ、農耕用に調教されました。
そしてよく働く役牛に成長した後に松阪地方へと入って来たのです。
この牛は松阪近辺では「新牛(あらうし)」と呼ばれ、
おとなしくて働き者であったので農家で大切に飼われ、家族同様に暮らしていました。
明治になり、来日した外国人による牛肉の需要が始まり、国民にも普及すると、
それまで農耕用だった牛が肉用に振り向けられるようになりました。
農耕に3~4年使われた牛を「野上がり牛」として1年間肥育、
太牛(ふとうし)」として供給したのです。

但馬牛の写真
【緑豊かな山ふところにたたずむ但馬牛(伊勢文化舎『松阪牛 牛飼いの詩』より)】

昔の農耕風景
【在りし日の農耕風景】

【その2】文明開化と牛鍋

【その3】松阪肉牛共進会
【その4】世界のブランド「松阪牛」
【その5】松阪牛の歴史年表

【はじめに】松阪牛ヒストリー