全国を巡る

印刷用ページを表示する掲載日:2012年2月20日更新

 全国各地をめぐり歩く武四郎は、山岳信仰のある山々にも登りました。
 武四郎は旅の資金を「篆刻」(石に文字を彫ってハンコを作ること)で稼いでいたと言われています。その技は、16歳で江戸へ出た時に、漢学者の山口遇所のところでしばらく居候をしており、そこで見よう見まねで覚えたと言われています。
 旅の途中、江戸(今の東京)では、幕府の老中を務めた水野忠邦の屋敷に奉公したこともあったようですが、そこで身を立てる見通しがつきそうになった時、若気のいたりから何か失敗をしてしまったようです。
 その後、19歳で四国八十八カ所の霊場をまわり、中国地方を経て20歳からは九州各地を歩きます。
 長崎で病に倒れた後、僧侶となった武四郎は、名前も「文桂」と改めます。そして、長崎県北部の平戸でお寺の住職を務め、さらに対馬へと渡り、朝鮮半島を目指しましたが、鎖国のために海外へ行くことは断念せざるを得ませんでした。

 ※ 武四郎が全国を旅する時に、伊勢国の出身であることが彼の旅を助けたと考えられます。当時はおかげ参りが流行し、一生に一度はお伊勢参りをしたいというのが、多くの人びとの夢でありました。おかげ参りの旅人は、伊勢神宮へと続く街道を旅しながら、道沿いの家々から厚いおもてなしを受けました。そのため、武四郎が各地を旅した際に、伊勢国から来たということで逆に親切にしてもらったこともあったでしょう。またおかげ参りに行きたくても行けない人びとにとっても、あこがれの伊勢神宮の様子を武四郎から詳しく聞けるということで、歓迎を受けたのではないかと思われます。武四郎はお世話になった人がおかげ参りに出る時は、実家への手紙を託し、お世話になった人なので世話をして欲しいと頼んでいました。

矢立

矢立の画像武四郎の旅に欠かせなかったものは、記録をするためのメモ帳と、墨と筆を入れて携帯できる「矢立」という道具でした。
写真の矢立は、武四郎が使用していたものと伝えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

武四郎のメモ帳

武四郎のメモ帳の画像19歳の武四郎は、四国八十八カ所の霊場をすべて巡ると、中国地方を旅しました。
武四郎の旅のスタイルは、常に小さなメモ帳を持ち歩きながら、各地で見たり聞いたりしたことはもちろん、興味を持ったことを、その場で細かく記録をするというものでした。
写真は、広島県の宮島にある厳島神社を訪れた際に、境内の様子を丁寧にスケッチしたものですが、びっしりと書き込まれた文字からも几帳面な武四郎の性格が感じられます。

 

 

 

 

 

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