武四郎誕生

印刷用ページを表示する掲載日:2015年10月27日更新

 今から約200年前の文化15年(1818年)2月6日、伊勢国一志郡須川村(現在の松阪市小野江町)に、松浦時春(桂介)の四番目の子どもとして武四郎は誕生しました。
 父は、その年の干支「寅」にちなんで、寅(虎)にゆかりの深い植物である「竹」に、四番目に生まれた男の子を意味する「四郎」をつけて、「竹四郎」と名付けたそうです。
 古くから虎と竹は縁起がよい組み合わせとされています。「竹四郎」は、のちに「竹」を勇ましい「武」の字に変えて、「武四郎」と書くようになります。武四郎(竹四郎)は幼名で、成人後の正式な名(諱)は「弘」(ひろし)、字(あざな)は「子重(しちょう)」といいます。

※文化15年は4月22日に「文政」へと改元されました。
※武四郎が生まれた松浦家は、中世に九州北部の肥前松浦地方で活躍した水軍「松浦党」(まつらとう)の出とされます。南北朝時代に南朝方の武将であり、伊勢国司となった北畠氏に仕えて、北畠氏が本拠を置いた美杉(津市美杉町)の地から流れ出る雲出川(くもづがわ)の下流にあたる須川村に根を下ろしました。江戸時代には、紀州和歌山藩の領地となり、松浦家は代々村をまとめる地士(じし)として、戦いが起きた場合は、雲出川を越えて和歌山藩に侵入する敵を食い止める役割を担い、武士の特権であった名字を名乗ることや刀を持つことが認められた家でした。四番目に生まれた武四郎は、兄が家を継ぐため、いずれは家を出なければなりませんでした。

松阪市指定史跡 松浦武四郎誕生地

松阪市指定史跡 松浦武四郎誕生地武四郎の家の前を通る道は「伊勢街道」といって、伊勢神宮へと続く道でした。江戸時代には多くの旅人が行き交い、武四郎が13歳の頃におこった「文政のおかげ参り」と呼ばれる出来事は、全国各地から1年間で500万人もの旅人が伊勢神宮を目指してやって来たと言われています。たくさんの旅人の姿を見て育った武四郎は、この道の先には何があるのだろうと、見知らぬ土地へのあこがれを抱いたことでしょう。

※武四郎が生まれた当時の家は、街道より奥に入ったところにあり、後に現在の街道に沿った場所へ移り住んだと伝えられています。

 

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