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政府を辞めた武四郎は、再び全国各地をめぐり歩きながら、骨董品の収集を趣味とします。とりわけ奇石や古銭、勾玉の収集に熱中し、また収集品のうち特に重要なものについては、「撥雲余興」と題した図録を出版することや、同好の人々と展覧会を開くなどしています。
また、そのかたわらで学問の神様として知られる菅原道真を信仰し、道真ゆかりの25の天満宮を紹介する双六を作って出版しました。そして、上野東照宮、北野天満宮、大阪天満宮、金峯山寺、太宰府天満宮に直径1m、重さが120kgもある巨大な銅鏡を奉納し、さらに多くの賛同者を募って全国25の天満宮に直径30cmほどの神鏡を奉納したほか、社前に石標を建てるなど、際だった天神信仰をおこなっています。
明治8年(1875年)、北野天満宮に奉納した鏡の裏面を拓本にとったものです。鏡の裏面には、北海道、カラフト(今のサハリン)南部、千島列島がデザインされており、アイヌ民族が暮らす地域を表しました。
北野天満宮には、戦国武将加藤清正が奉納した日本地図鏡があり、北は青森までしか含まれていなかったため、その隣に置いて北海道を含めた日本列島全体を示したのでしょうか。アイヌの人びとの平安を祈る武四郎の願いを感じ取ることができます。