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少年時代

ページID:0108360 更新日:2012年2月20日更新 印刷ページ表示

 武四郎は7歳のときに真覚寺(真学寺)の来応和尚に手習い(読み書き)を学びました。地元の古老の方のお話では、武四郎は小さい頃に、お寺の屋根から飛んで遊ぶなどとても活発な子どもであったという言い伝えがあるそうです。
 読み書きを覚えた武四郎は、「名所図会」という各地の名所を図入りで紹介した本を好んで読んでいました。いつかはこの目で確かめてみたい・・・旅へのあこがれを強くしたことが想像できます。
 13歳になった武四郎は、津藩の儒学者である平松楽斎から学問を学びます。
 平松楽斎のもとには、全国から有名な学者たちが楽斎を慕ってやって来ました。学者たちの話しを聞いた武四郎は、学問を深めるためには諸国を巡り、見聞を広めることが重要であると感じていたのかもしれません。

真覚寺(真学寺)

真覚寺(真学寺)の画像写真の真覚寺(真学寺)は武四郎が手習いを習った曹洞宗のお寺で、現在は地区の集会所を兼ねています。境内には、武四郎に読み書きを教えた来応和尚のお墓もあります。お経を暗記して唱えるなど、仏教に非常に高い関心を持っていた武四郎。武四郎の小さい頃の夢は、お坊さんになることでした、それは、各地を修行して不思議な霊力を身につけていた来応和尚にあこがれていたのではないでしょうか。

※武四郎の自伝には、12歳の時に狐がとりついた娘を、来応和尚がお経を唱えて狐を取り除き、「正節稲荷大明神」として祀ったところ、御利益があると大変有名になったことが記されています。また、真覚寺(真学寺)には和尚自身が稲荷神社の由来を記した板が保管されています。