開拓判官の辞職

印刷用ページを表示する掲載日:2012年2月20日更新

明治2年(1870年)、アイヌの人びとが安心して暮らすことができる北海道を目指して取り組んでいた武四郎は、江戸時代のような、商人たちによってアイヌの人びとが酷使される実態を改善しようと取り組みました。
しかし、これに対抗した商人たちは、当時の開拓長官東久世長官に賄賂を贈り、それによって武四郎の意見は聞き入れられないばかりか、東京詰めの役人として、北海道へ行くことすらできませんでした。また、商人たちは開拓使内部で武四郎が孤立するよう仕組んだため、大きな政治の流れの中でたった一人ではどうすることもできなかった武四郎は、北海道開拓のあり方に強く反発して、辞職します。
このとき、武四郎は今までの功績により、従五位の位を贈られていましたが、それも返上したのでした。 

武四郎の辞表(自筆の控え)

武四郎の辞表(自筆の控え)辞表には、同僚の判官であった島義勇もまた東久世長官と意見が合わなかったため、物資の調達を独断でおこなったことを理由に罷免されたことについて、長官が仕組んだことであったと記しています。
政治の世界に失望した武四郎が、政府を辞職した後に雅号としたのは、皮肉をたっぷりこめた「馬角斎」(ばかくさい)でした。 

 

 

 

 

 

 

 

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