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松坂城跡

ページID:0111622 更新日:2026年6月1日更新 印刷ページ表示

​概要

松坂城跡(まつさかじょうあと)

・種別:史跡

・員数:47,337.3m²

・時代:近世

・指定日:平成23年(2011)2月7日

・所在地:殿町

・所有者等:(管理)松阪市

 

 天正16年(1588)、蒲生氏郷(がもううじさと)の築城による平山城(ひらやまじろ)で、北東を大手(おおて)、南東を搦手(からめて)とします。本丸・二ノ丸・きたい丸・隠居丸からなる城郭の中核には高い石垣を築き、それを取り囲むように配置された三ノ丸の外周には土居(どい)と水堀(みずぼり)が巡っていました。
 天正18年(1590)、氏郷が会津(福島県)へ移封の後、服部一忠(はっとりかずただ)、古田重勝(ふるたしげかつ)、同重治(しげはる)と城主は変わり、この間に主要な曲輪の整備が行われました。元和(げんな)5年(1619)に紀州藩領となり、それ以後は、城内に藩の出先機関が置かれました。天守台には三層の天守がそびえていたとされますが、正保元年(1644)の大風により倒壊したと記録にあるほか、火災や様々な要因により、史跡内に当時の建物は残っていません。
 史跡として指定されたのは、城郭の中核部分で、堅固な石垣を多用した織豊系(しょくほうけい)城郭としての特徴を良好にとどめ、築城当初は豊臣政権下における東国への備えとみることができます。また、徳川御三家の一つである紀州藩の勢州領支配の拠点として明治期まで存続した点で近世の政治・軍事を知る上で重要です。​

 

松坂城跡