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松坂城跡
(まつさかじょうあと)
国指定史跡
天正16年、蒲生氏郷(がもううじさと)の築城による平山城(ひらやまじろ)で、北東を大手(おおて)、南東を搦手(からめて)とし、本丸、二の丸、三の丸等よりなる。本丸、二の丸に高い石垣を築き、三の丸の外周には土居(どい)と水堀(みずぼり)が巡っていた。
天正18年(1590)、氏郷が会津(福島県)へ移封の後、服部一忠(はっとりかずただ)、古田重勝(ふるたしげかつ)、同重治(しげはる)と城主は変わるが、元和(げんな)5年(1619)に紀州藩領となり、それ以後、城内には藩の出先機関が置かれた。
本丸西隅の天守台には三層の天守が聳(そび)えていたが、正保元年(1644)大風により倒壊したと記録にあり、同じ頃の城絵図には敵見(てきみ)・金ノ間(きんのま)・太鼓(たいこ)・月見(つきみ)・遠見櫓(とおみやぐら)が描かれている。
幅15~31m、総延長2km余あった水堀は明治初期に埋められ、神道川(じんどうがわ)等に名残りをとどめる。
1988年度から2003年度までの石垣修復の間、発掘調査や鳥・猿舎の撤去等の城跡整備を行い、2006年には日本城郭協会から「日本名城百選」に選定された。