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角屋七郎兵衛等供養碑並びに松本駝堂墓
(かどやしちろべえとうくようひならびにまつもとだどうはか)
市指定史跡
安南(あんなん)(ベトナム)貿易家の角屋七郎兵衛(1610~1672)は、湊町の廻船問屋角屋七郎次郎の次男。寛永10年(1631)22歳の時、初航海で交趾(コーチ)へ渡るが、その2年後に鎖国令が出されたため、現地に永住することを決意する。その後、會安(ホイアン)の日本人町の長として活躍をしながら、松坂の一族とも音信を交わし、伊勢神宮や松坂城下の寺社への寄進を続けた。供養碑は、七郎兵衛とその一族の名を刻むが、建立年は不明である。
松本駝堂(1673~1751)は、角屋家別家出身の外科医。松坂出身の丹羽正伯(にわしょうはく)や植村正勝とともに本草(ほんぞう)学者として知られた人物である。