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紙本墨書蒲生忠三郎宛安堵状

ページID:0111800 更新日:2020年5月1日更新 印刷ページ表示
  • 本庁管内
  • 市街地区

6-23
紙本墨書蒲生忠三郎宛安堵状
(しほんぼくしょがもうちゅうざぶろうあてあんどじょう)

市指定有形文化財

概要

  • 1幅
  • 天正10年(1582)
  • 殿町 本居宣長記念館(小津茂右衛門コレクション)
  • 紙本墨書、掛幅装、29×40cm
  • 昭和28年12月8日

 この文章は、蒲生氏郷に対し、佐久間信盛の旧領1万石について、その知行(ちぎょう)を承認したものである。
 天正10年は、まさに激動の年であった。6月2日、織田信長を本能寺で自刃させた明智光秀は、同13日、山崎の合戦で羽柴(はしば)秀吉(後の豊臣秀吉) に敗れ、農民により殺された。そして同月27日には、本文書に連署する羽柴秀吉、惟住(これずみ)(丹羽(にわ))長秀、池田信興(のぶおき)、柴田勝家ら織田家の宿老が清洲城に会し、三法師(さんぽうし)(秀信(ひでのぶ))を継嗣(けいし)に定めるとともに、遺領を配分した。この文章は、その結果をうけて発給されたものである。

蒲生忠三郎宛安堵状