本文
6-23
紙本墨書蒲生忠三郎宛安堵状
(しほんぼくしょがもうちゅうざぶろうあてあんどじょう)
市指定有形文化財
この文章は、蒲生氏郷に対し、佐久間信盛の旧領1万石について、その知行(ちぎょう)を承認したものである。
天正10年は、まさに激動の年であった。6月2日、織田信長を本能寺で自刃させた明智光秀は、同13日、山崎の合戦で羽柴(はしば)秀吉(後の豊臣秀吉) に敗れ、農民により殺された。そして同月27日には、本文書に連署する羽柴秀吉、惟住(これずみ)(丹羽(にわ))長秀、池田信興(のぶおき)、柴田勝家ら織田家の宿老が清洲城に会し、三法師(さんぽうし)(秀信(ひでのぶ))を継嗣(けいし)に定めるとともに、遺領を配分した。この文章は、その結果をうけて発給されたものである。