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江戸時代を通じて「城下町松坂」として位置付けていいのか、歴史学として正しいのかお答えください。
1588年(天正16)の蒲生氏郷による松坂開府から1619年(元和5)に紀州藩領となるまでの間、松坂城には城主が存在したことから「城下町」として機能していました。紀州藩領となった以降は、松坂城は城としての機能を失ったことから厳密には「城下町」ではなくなります。しかし、その後「城下町」を基礎として宿場町、商業都市として発展し、現在の市街地へと繋がっていったことから、広い意味での「城下町」として位置づけられるのではないかと考えます。