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徳川陣屋の再建について

ページID:0110602 更新日:2015年10月27日更新 印刷ページ表示

意見・質問

 明治10年徳川陣屋が失火しましたが平面図は残っております。明治9年に西町の世古格太郎氏が当時の今日で言う文化庁的なカメラマンとして松坂城址の徳川陣屋を三方面からとっており徳川陣屋を再建可能のためよろしくお願いします。二の丸にある藤棚、能楽堂もあり調整は必要。松坂城の大手門については平面図はなく架空のものであるため反対します。

回答

 徳川陣屋については、「松阪市史 別巻1 松阪地図集成」に掲載されております『松阪旧城郭之図』が唯一残る平面図となっております。また、東京国立博物館が所蔵する「壬申検査」によって撮影された古写真にも、徳川陣屋が撮影されているものがあります。
 一度失われた建物を再建する場合、ご指摘の平面図や写真だけでなく、立面図等の実際の寸法等がわかる厳密な図面が必要となります。残念ながら、徳川陣屋については平面図・写真のみという状況であり、再建するための資料が充分に揃っておりません。近年、熊本城や名古屋城などで非常に大規模な復元が行なわれております。しかし、それは厳密な図面等の資料が多数存在するからこそ、そのような整備が可能となりました。逆に、どのような建物が建っていたのかはっきり分らないまま推測で建ててしまえば、一番大切にすべき根本としての城の価値をかえって失ってしまうことになります。また、平成24年に刊行した『史跡松坂城跡保存管理計画書』でも、建物の復元は行なわず、現在残されているものを有効に活用する方針が示されております。松坂城をこれからどのように活用するかを考える基本として、「史実に基づく」ということが何より大切であると考えます。以上のことから、教育委員会としては徳川陣屋等のかつて城内にあったとされる建物の再建・復元は行なわない方針で松坂城跡の整備を進めていくことをご理解ください。
 今後、建物復元に代わる方法として、城内各所に設置する解説板の古写真等を活用した視覚に訴えたわかりやすい内容への変更を検討します。