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薬師寺本堂並びに仁王門

ページID:0109571 更新日:2020年5月25日更新 印刷ページ表示

本庁管内 北部地区
49-95
薬師寺本堂並びに仁王門
(やくしじほんどうならびににおうもん)

市指定有形文化財

概要

2棟/本堂:承応2年(1653)、仁王門:江戸時代/船江町 薬師寺/本堂:寄棟造、本瓦葺、仁王門:入母屋造、本瓦葺/昭和27年1月26日

 本堂は正面3間、側面4間、寄棟造、本瓦葺の簡素な小堂。背面と左側面に半間を軒下に張出して仏壇、物置等に充てている。前面と側面前端に縁を設け、前面に1間の向拝を付ける。内部は前面1間を外陣とし、内陣との境には円柱を立てている。
 仁王門は、地方寺院には珍しい仁王像を安置した三間一戸の楼門で、入母屋造、本瓦葺。礎石上に円柱を立て、貫で柱をつなぎ、上下層それぞれの出三斗組の上は一階は勾欄(こうらん)つき廻縁を、二階は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)の軒を支える。木割(きわり)は全体に細い。
 天台宗に属する薬師寺は、聖武天皇の勅願所で、天平2年(730)行基の開基と伝え、その後文治3年(1187)後鳥羽天皇の御願により再興、寺盛大いに振ったというが、天正年間の兵乱で灰燼に帰した。中興四世良海は紀州藩祖徳川頼宣の帰依を受けて寺運を開き、本堂・仁王門・庫裏(くり)・客殿等を整えたといわれる。本堂については「奉再興薬師堂一宇檀主紀伊守従二位権大納言源頼宣公 承応貮年癸暦八月吉祥日 別当権大僧都良海 大工松井丹十郎」と表記した、承応2年(1653)再興の棟札があり、仁王門も本堂に続いて再興されたものと思われる。

薬師寺本堂並びに仁王門