本文
飯高管内
126-206
礫石・倭姫命の歌碑
(つぶていし・やまとひめのみことのかひ)
市指定史跡
昔のこと、天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って珍峠(めずらしとうげ)にさしかかり、国境を尋ねると、天児屋根命(あめのこやねのみこと)があらわれ、「この下の堺(かい)ヶ瀬が伊勢と大和の国境」と答えた。大神は、「この境は疑わしい。」と言い、大石を川の中に投げ入れ、波のとどまる所で決めることにした。
そして、傍らにあった大石を礫のように投げ入れると、川の水は大きな水柱となり、にわかに滝のように落ちた。そこで、このあたりを滝野の里と名付け、勢いよく川上に逆流していった波の様子から、それぞれの地名を加波(かば)の里、波瀬(はぜ)の里、舟戸(ふなと)の里と呼ぶようになった。さらに激しい勢いで逆流していった波は高見山(たかみやま)に達した。この日より高見山を伊勢と大和の国境と決めた。それから、赤桶(あこう)地内の櫛田川にある大石を礫石と呼ぶようになったとの言い伝えがある。
礫石
倭姫命の歌碑