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嬉野管内
76-151
天白遺跡
(てんぱくいせき)
国指定史跡
縄文時代/嬉野釜生田町/14,226平方メートル/平成12年4月11日
天白遺跡は布引(ぬのびき)山系から形成する山間部と伊勢平野との接点に所在し、山間から流れ出る中村川が釜生田(かもだ)集落で大きく蛇行する箇所の左岸、標高28mの河岸段丘上に位置する。
平成4年度、県営圃場(ほじょう)整備事業に先立って三重県埋蔵文化財センターにより行われた5,490平方メートルの発掘調査でA調査区において西日本では希有(けう)な縄文時代の大規模配石遺構(はいせきいこう)が確認された。遺構・遺物の広がりは東西約90m、南北約100mにおよび、表土下1mの地点に遺構があることがわかった。
縄文時代後期中葉から晩期初頭にかけての配石遺構30基、埋設土器26基、焼土30基が確認されるが、住居等は現在まで確認されていない。配石遺構の形態は、A:周囲に石を巡らすもの、B:二重に石を巡らすもの、C:内側にも石を巡らすもの、D:無造作に石を集めたものなどがあり、平成14年のレーダー探査では配石遺構が大きく環状を呈することがわかった。
遺物は多量の土器、土偶、勾玉(まがたま)などの土製品、石器、石製品、骨片、辰砂(しんしゃ)原石が出土した。土器は深鉢、浅鉢、壺、注口土器が見られる。ほかに、皿状、高杯状、釣り手土器、ミニチュア土器がある。
天白遺跡で確認された配石遺構、埋設土器、焼土、土偶、石棒・石剣・焼骨などの出土は、天白遺跡で大規模な葬送儀礼や遺物の廃棄儀礼など様々な祭祀行為(さいしこうい)が行われたことを示している。現段階で住居跡は確認されないことから、日常的な生活の場から独立した祭祀場と推定される。なお、当遺跡から中村川上流へ約2km地点にある下沖遺跡は同時代における集石遺構や住居跡が見られる拠点的な遺跡であり、天白遺跡は下沖遺跡のような周辺の集落の「共同の祭り場」としての性格が想定される。