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天白遺跡(てんぱくいせき)
・種別:史跡
・員数:14,226m²
・時代:縄文
・指定日:平成12年(2000)4月11日
・所在地:嬉野釜生田町
・所有者等:松阪市
布引(ぬのびき)山系から形成する山間部と伊勢平野との接点に所在し、山間から流れ出る中村川が釜生田(かもだ)集落で大きく蛇行する箇所の左岸、標高28mの河岸段丘上に位置します。
県営圃場(ほじょう)整備事業に先立って三重県埋蔵文化財センターにより行われた発掘調査で、遺構・遺物の広がりが東西約90m、南北約100mに及ぶことが判明し、西日本では稀有(けう)な縄文時代の大規模配石遺構(はいせきいこう)が確認されました。
縄文時代後期中葉から晩期初頭にかけての配石遺構30基、埋設土器26基、焼土30基が確認されましたが、住居等は現在まで確認されていません。配石遺構の形態は、「周囲に石を巡らすもの」、「二重に石を巡らすもの」、「内側にも石を巡らすもの」、「無造作に石を集めたもの」などがあり、後のレーダー探査によって配石遺構が大きく環状を呈することが判明しました。
遺物としては、多量の土器、土偶、勾玉(まがたま)などの土製品、石器、石製品、骨片、辰砂(しんしゃ)原石が出土しました。
確認された配石遺構、埋設土器、焼土、土偶、石棒、石剣、焼骨などは、天白遺跡で大規模な葬送儀礼や遺物の廃棄儀礼など様々な祭祀(さいし)行為が行われたことを示しています。現段階で住居跡は確認されないことから、日常的な生活の場から独立した祭祀場と推定されます。なお、当遺跡から中村川上流へ約2km地点にある下沖遺跡は同時代における集石遺構や住居跡が見られる拠点的な遺跡であり、天白遺跡は下沖遺跡のような周辺の集落の「祀りの場」として想定されます。
