宝塚古墳

印刷用ページを表示する掲載日:2012年2月20日更新
  • 本庁管内
  • 中部地区

33-72
宝塚古墳
(たからづかこふん)

国指定

概要

  • 2基
  • 古墳時代(5世紀)
  • 宝塚町・光町 宝塚古墳公園
  • 指定面積:26,787.4平方メートル
  • 昭和7年4月25日

 宝塚古墳群は、伊勢平野を望む丘陵一帯に築造された南北1km、東西1.25kmの古墳群である。昭和4年の鈴木敏雄氏の『飯南郡花岡村考古誌考』によれば88基所在したとされるが、現在は付近一帯が住宅地となり、わずかに1・2・4号墳の3基が残るのみである。1・2号墳は併せて宝塚古墳と呼び、指定名称になっている。
 松阪市では、平成11年から史跡保存整備事業にともなう発掘調査を実施した。その結果、1号墳は伊勢湾西岸で最大の全長111mの前方後円墳であること、古墳時代中期(5世紀初頭頃)に造られたものであることなどが判明して伊勢平野の広い範囲に影響を及ぼしていた王の墓と考えられた。また、古墳の北側では、「まつりの場」とされる造り出しと古墳本体をつなぐ、全国初の例となる土橋をもつことが調査で発見された。墳丘は、前方部・後円部ともに3段の斜面をもち、いずれも葺石がともなう。葺石間には円筒埴輪列が巡らされる。また、形象埴輪も多数みつかった。とりわけ、造り出しの全面調査の結果、埴輪配列が推定できる資料を得た。造り出しの東側では、柱状埴輪(ちゅうじょうはにわ)と二重口縁壺(にじゅうこうえんつぼ)による、出入り口のような表現をした埴輪配置がみつかり、古墳祭祀を知る上で大きな成果を得た。
 宝塚1号墳の発掘調査では、船形埴輪の発見にとどまらず、造り出しと呼ばれる「祭祀場」での埴輪の配置があきらかになった。古墳における王の祀りや、埴輪に託された当時の人々の祈りなど、今までの埴輪に対する見方を大きく変えるほどの成果を得たと考えられる。

宝塚古墳

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