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宝塚古墳
(たからづかこふん)
国指定史跡
宝塚古墳群は、伊勢平野を望む丘陵一帯に築造された南北1km、東西1.25kmの古墳群である。昭和4年の鈴木敏雄氏の『飯南郡花岡村考古誌考』によれば88基所在したとされるが、現在は付近一帯が住宅地となり、わずかに1・2・4号墳の3基が残るのみである。1・2号墳は併せて宝塚古墳の名称で国指定史跡に指定されている。
平成11年から史跡保存整備事業にともなう発掘調査が実施され、1号墳は古墳時代中期初頭(5世紀初め頃)の、伊勢湾西岸で最大の全長111mの前方後円墳であり、2号墳は古墳時代中期前半(5世紀前半頃)の、全長90mの帆立貝式古墳であることがわかった。
1号墳の墳丘は、前方部・後円部ともに3段の斜面をもち、いずれも葺石がともなう。また、「まつりの場」とされる造り出しと古墳本体をつなぐ土橋の発見は、全国初であった。平坦面では円筒埴輪列がみつかり、また、形象埴輪も多種多量みつかった。特に、造り出しの周囲では船形埴輪を含む埴輪配列が明らかとなり、古墳祭祀を考察するうえで貴重な発見例となった。
1号墳は、当地域における初の前方後円墳であり、多種多量の形象埴輪が導入されるなど、ヤマト政権が当地域に及ぼした影響が認められる。1号墳と2号墳からなる宝塚古墳は、当地域における王権の系譜をたどることのできる貴重な史跡である。