本文
嬉野管内
142-239
多賀家文書 附 文書箱等
(たがけもんじょ つけたり もんじょばことう)
市指定有形文化財
7,520点 附 10点/江戸時代~昭和前期/殿町 郷土資料室/平成22年3月29日
多賀家は紀州藩の地士の格式を持ち、江戸時代には一志郡堀之内村の庄屋を、明治以降は豊地村の収入役や村長を務めた地方名望家である。多賀家に伝えられた当文書は、近世から近代にかけて、嬉野地方の社会の成り立ちを知る上で、よくまとまった史料群である。
中核を占めるものが、「諸用帳」「出入日記」「晴雨日記帳」などの表題を持つ、天保7(1836)年から大正14(1925)年に至るまでの、約90年にわたる当主四代の日記である。一部は欠けるものの、ほぼ連日記載された日記がこれだけの長期にわたり残されている史料的価値は大変高い。
当文書群は、近世後期から第二次大戦期に至るまでの嬉野地域の社会を知るための一級史料であり、かつ戦時下の状況を伝える文書としては県内屈指の史料的価値を有するものと評価できる。