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紙本墨書蒲生貞秀自筆詠草、 紙本墨書蒲生貞秀自筆詠草、 紙本墨書蒲生貞秀自筆短冊

印刷用ページを表示する掲載日:2020年4月30日更新

本庁管内 市街地区
6-25
紙本墨書蒲生貞秀自筆詠草
(しほんぼくしょがもうさだひでじひつえいそう)

市指定有形文化財

6-26
紙本墨書蒲生貞秀自筆詠草
(しほんぼくしょがもうさだひでじひつえいそう)

市指定有形文化財

6-27
紙本墨書蒲生貞秀自筆短冊
(しほんぼくしょがもうさだひでじひつたんざく)

市指定有形文化財

概要

1幅/室町時代/紙本墨書、掛幅装、26×34cm/宗祗法師加筆

1幅/文明6年(1474)/紙本墨書、掛幅装、29.4×41.5cm/山王法楽

1幅/室町時代/紙本墨書、掛幅装、34.5×5cm/殿町 本居宣長記念館(小津茂右衛門コレクション)/昭和28年12月8日

 蒲生貞秀(1444?~1514)は氏郷より4代前の蒲生家当主。蒲生家の中興の祖(ちゅうこうのそ)である。戦国の真中に生きた貞秀は、武勇に長じていた。後年出家し、智閑と名乗ってからも、人は「智閑が念仏、持是院(斎藤妙純(みょうじゅん))が頭巾、申して無益、して無益」と言ったという。念珠を爪繰りながら、軍のことを考えていたのである。貞秀はまた歌人としても知られていた。準勅撰の連歌撰集『新撰莵玖波集(しんせんつくばしゅう)』にも5首選ばれている。その選者であった連歌師宗祗とも親しく、指定の2幅の詠草には宗祗筆と伝える添削がある。
 芭蕉がその理想とした宗祗は、終生旅を続け、戦国大名や公家の間を行き来していた。なかには、歌よりもその諸国の情報を重宝がる大名も多かったが、貞秀の場合は、宗祗から『分葉(ぶんよう)』という連歌の辞書を贈られたり、古今伝授(こきんでんじゅ)を受けたりして、かなり連歌に執心していたらしい。
 貞秀はまた当時の一流の文化人と交遊があった。例えば、公家で古典学者の三条西実隆(さんじょうにしさねたか)や、飛鳥井雅親(あすかいまさちか)などと親しく交わった。飛鳥井との交渉では、次のような話が伝わっている。貞秀が領内で見つけた菜を漬物にして、雅親に歌を添えて贈った。その風味を珍として雅親は、後柏原天皇に献上した。それが帝の御意に入り、「桜漬」の名を賜った。以後、この漬物を桜漬といい、菜を日野菜と呼ぶようになった。
 2番目の写真は、貞秀の詠草。右に細く切り貼りされた1行に、文明6年(1474)に日吉大社(ひえたいしゃ)に奉納された和歌であることが記される。なお、この一行は宗祗の筆であると伝えられる。

蒲生貞秀自筆詠草 宗祗法師加筆

蒲生貞秀自筆詠草 山王法楽

蒲生貞秀自筆短冊

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