ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 文化情報 > 旧三重県立工業学校製図室

本文

旧三重県立工業学校製図室

ページID:0111697 更新日:2020年5月12日更新 印刷ページ表示

本庁管内 市街地区
15-51
旧三重県立工業学校製図室
(きゅうみえけんりつこうぎょうがっこうせいずしつ)

市指定有形文化財

概要

1棟/明治41年(1908)/殿町 三重県立松阪工業高等学校/木造平屋建、切妻造、桟瓦葺、延241平方メートル/平成7年12月21日

 「赤壁(せきへき)」の愛称で知られる松阪工業高校の資料館棟(旧三重県立工業学校製図室)の建物は、明治35年(1902)に開校した県内初の工業学校の製図室として、明治41年に建設費2,400円余りをかけて建設された。建設当初は桁行(けたゆき)8間・梁間(はりま)5間であったが、その後、移築・増築・改修がなされ、現在は桁行14間・梁間5間になっている。内部は2室と廊下で、外観は下見板張と漆喰と木骨の対照を見せるハーフティンバー風の壁面を併用し、木部には赤褐色の塗料を塗る。
 県内でも、現存する明治期の学校施設として数少ないものの一つであり、伊賀市の旧三重県第三中学校校舎(県指定、現上野高校本館)等とともに、三重県を代表する建物である。また、松阪の近代化を象徴する建物であり、松坂城跡(まつさかじょうあと)から旧松坂御城番長屋(まつさかごじょうばんながや)・殿町の武家屋敷群にいたる歴史的景観と一体化した建物である。
 以上のように、この建物は松阪の近代化の息吹を伝えるものとして、また明治後期の三重県の公共施設の作風をとどめるものとして、貴重なものである。

旧三重県立工業学校製図室