ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 文化情報 > 阪内城跡・阪内御所跡

本文

阪内城跡・阪内御所跡

ページID:0109620 更新日:2020年5月22日更新 印刷ページ表示
  • 本庁管内
  • 中部地区

42-82
阪内城跡・阪内御所跡
(さかないじょうあと・さかないごしょあと)

市指定史跡

概要

  • 室町
  • 阪内町脇谷・御所
  • 指定面積:1,252平方メートル
  • 昭和53年11月11日

 城跡は標高302mの山頂部、東西50m、南北55mの範囲内にあり、細長い台状地を中心に平坦地、堀切りが残る。また、城主の居館跡と思われる御所跡は、城から谷を挟んで西に見下ろした山麓にあったが、現在は阪内幼稚園となり、往時の遺構は残らない。
 本城は応永年間、伊勢国司北畠家一門の北畠雅俊が入城し、その子孫は代々坂内姓を名乗り、「坂内御所」とも称された。天正4年(1576)11月、7代具義は北畠信雄の謀略により田丸城において殺害され、やがて本城も廃城となる

阪内城跡・阪内御所跡1

阪内城跡・阪内御所跡2