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大河内城跡

印刷用ページを表示する掲載日:2012年2月20日更新

本庁管内 中部地区
35-74
大河内城跡
(おかわちじょうあと)

県指定

概要

室町時代/大河内町城山・マムシ谷外/指定面積:51,051.33平方メートル/昭和12年11月5日

 標高110m余りの丘陵突端部一帯、300m四方の範囲内に築造され、東裾には阪内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成している。城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口(からめてぐち)とし、西に西ノ丸、東に二ノ丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切りや台状地が残る。
 本城は応永年間、伊勢国司北畠満雅(みつまさ)により築城され、弟顕雅(あきまさ)が入城して、その子孫は代々「大河内御所」を称した。永禄12年(1569)8月、本城をめぐって北畠具教軍と織田信長軍が敵対し、北畠軍は50日にもおよぶ籠城(ろうじょう)戦に耐え、やがて和睦が成立している。この一大攻防の結果、本城は難攻不落の堅城と称賛されたが、天正3年(1575)には信長の次男北畠信雄により解体されている。

大河内城跡

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