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本居宣長旧宅(もとおりのりながきゅうたく) 同(どう)宅跡(たくあと)
・種別:特別史跡
・員数:〈旧宅〉1棟 建坪74.25m²、〈宅跡〉436.36m²
・時代:江戸
・指定日:昭和28年(1953)3月31日
・所在地:〈旧宅〉殿町、〈宅跡〉魚町
・所有者等:松阪市
〈旧宅〉 宣長が12歳のときから亡くなる72歳まで住居としていた家です。書斎の名を取って鈴屋(すずのや)と呼ばれるこの家は、元禄4年(1691)に宣長の祖父が、養母の隠居屋敷として職人町清光寺門前に建て、享保11年(1726)に魚町に移したものです。宣長は、母妹弟らと父の没した翌年の寛保元年(1741)にこの家に移り住み、以後住宅として明治に至りました。明治42年(1909)松坂城跡内の現在地に移転した時、前庭などは旧状を模し、多少の復元を加えて江戸時代の町家の姿を今に留めています。
間取りは1階の見世(みせ)の間・おいえの間・居間・仏間・奥座敷・台所、2階の書斎からなります。書斎は、53歳の時に物置を改造したものです。床の間に鈴を掛けたことにちなみ鈴屋と命名したこの書斎で、宣長の主な著作がまとめられました。宅跡と併せて三重県内唯一の特別史跡に指定されています。
〈宅跡〉 この宅地は、宣長の曽祖父小津三郎右衛門が承応(じょうおう)3年(1654)に本町の家屋敷とともに小津某から購入したものです。本町の家が小津家の本宅であり宣長が生まれた家でしたが、現在は何も残っていません。この宅跡とは溝を隔てて地続きで、裏口で通じていました。
この周囲には、向かいに御目見得医(おめみえい)で親友の小泉見庵(こいずみけんあん)、門人(もんじん)の長谷川邦淑(くによし)、本町には三井高蔭(たかかげ)、後に宣長養子となる稲掛大平(いながきおおひら)、中町にも門人の殿村安守(やすもり)などの屋敷が、まさに指呼(しこ)の間にありました。これらも宣長の門人との協力体制を強固にした要因であったといえます。
宣長旧宅が移築されてからも、春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて当時の名残を今に留めています。また礎石なども復元され、傍らには宅跡碑が建っています。