ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 文化情報 > 本居宣長墓(山室山)

本文

本居宣長墓(山室山)

ページID:0109632 更新日:2026年6月1日更新 印刷ページ表示

概要

本居宣長墓(もとおりのりながはか)(山室山(やまむろやま))

・種別:史跡

・員数:231.14m²

・時代:江戸

・指定日:昭和11年(1936)9月3日

・所在地:山室町

・所有者等:松阪市​

 

 宣長が亡くなったのは、旧暦の享和(きょうわ)元年(1801)9月29日、現在の11月5日のことでした。亡骸(なきがら)は山室の妙楽寺山頂に葬られ、立木の向こうには、松坂の町、遠く三河や、富士の頂までも望めたといいます。墓石には「本居宣長之奥墓」(自筆)と刻まれ、その背後には好きだった山桜が植えられています。
 墓は概ね遺言書に基づき設計されましたが、明治時代に山室山神社が創建され、付近の景観は大きく変わりました。「山室に千とせの春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見め」。亡くなる1年前に、門人(もんじん)たちとこの地に遊び、墓所を選定した時の歌です。墓の傍らには、没後の門人、平田篤胤(あつたね)、門人の版木師、植松有信の歌碑があります。

本居宣長墓(山室山)