本文
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銅造阿弥陀如来坐像
(どうぞうあみだにょらいざぞう)
市指定有形文化財
大仏殿に安置された上品上生の定印を結ぶ、地方には珍しい大仏で、元文2年(1737)ごろの作と考えられる。像の左膝部には「紀州粉河住 蜂屋平右衛門正勝」と製作者の名前が陽刻されている。
この大仏は、隣接地の敏太神社の八幡宮の本地仏として真楽寺三世静室素住と地元の中川清左衛門とが協力して造立している。真楽寺には、造像資金を集めるため、享保14年(1729)より3ヶ年間、市場庄町の参宮街道端へ小屋懸けし、そこに丈六の絵像をかけ、真楽寺の弟子たちが詰めて、往来する旅人から喜捨を得たい旨、関係筋へ願い出たそのときの文書が残っている。
なお、明治初年、廃仏毀釈により大仏は一時真楽寺へ移されたが、明治9年有志が台座を新造して現位置へ大仏をもどしている。地元では「美濃田大仏」として知られている。