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松浦武四郎関係資料(まつうらたけしろうかんけいしりょう)
・種別:重要文化財 歴史資料
・員数:1,505点
・時代:江戸~明治
・指定日:(元)平成20年(2008)7月10日、(員数変更)平成28年(2016)8月17日
・所在地:小野江町(松浦武四郎記念館)
・所有者等:松阪市
松浦武四郎は幕末期の北方探検家で、文化15年(1818)に小野江町にある伊勢街道沿いの家(市指定史跡松浦武四郎誕生地)で生まれ育ったと伝えられます。弘化2年(1845)から安政5年(1858)にかけて、6回にわたってロシアとの緊張関係にあった蝦夷(えぞ)・樺太(からふと)・千島列島の探査を行うとともに、詳細な調査記録や地図を作成しました。明治新政府において開拓使の判官を務め、それまでの「蝦夷地」に代わる名称として「北加伊道」を提案、これに基づき明治2年(1869)に「北海道」と改称されることになりました。アイヌの人々との共生に向けた先駆的な取組を行ったほか、晩年は古物の蒐集家(しゅうしゅうか)として活躍しました。各地を旅したほか、大台ヶ原や富士山への登山を行い、「大台山頂眺望図」などの優れた水墨画や記録を残しました。そして、明治21年(1888)に東京の自宅で亡くなりました。その後、武四郎の資料は、東京の直系子孫と松阪の実家の両松浦家によって大切に守り伝えられ、平成3年、16年、17年の3回に分け、松阪市(旧三雲町)へ寄贈されました。