ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 文化情報 > 浄眼寺文書 附 村上源氏北畠系図、神明三物記各1巻、無外逸方(北畠政勝)寿像

本文

浄眼寺文書 附 村上源氏北畠系図、神明三物記各1巻、無外逸方(北畠政勝)寿像

ページID:0109712 更新日:2020年5月21日更新 印刷ページ表示

本庁管内 西部地区
132-219
浄眼寺文書 附 村上源氏北畠系図、神明三物記各1巻
(じょうげんじもんじょ つけたり むらかみげんじきたばたけけいず、しんめいさんもつきかくいっかん)

県指定有形文化財

132-232
無外逸方(北畠政勝)寿像
(むがいいっぽう(きたばたけまさかつ)じゅぞう)

県指定有形文化財

概要

浄眼寺文書:3巻1幅22点 無外逸方(北畠政勝)寿像:1幅/室町時代/大阿坂町 浄眼寺/平成21年3月11日

 浄眼寺は阿坂城跡の麓に位置する曹洞宗の古刹で、伊勢国司北畠政勝(政郷)が僧大空玄虎(たいくうげんこ)を招いて開いた寺院である。
 北畠政勝は文明18年(1486)、入道して無外逸方(むがいいっぽう)と号し、当寺を自身の菩提所とした。このため、次代の北畠具方(材親)以降、晴具・具教・具房の歴代国司から発給された住持職等を安堵する文書が、数多く残されているほか、開基の無外逸方像が伝来する。明応3年(1494)の年紀を持つ無外逸方像は彼の存命中に描かれたもので、戦国武将の寿像(じゅぞう)としても、また北畠氏の当主を描いたものとしても貴重な作品である。
 なお、本堂と重層の禅堂及び総門は、宝暦年間(1751~64)の再興である。

無外逸方(北畠政勝)寿像