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射和軽粉関係資料
(いざわけいふんかんけいしりょう)
市指定有形民俗文化財
射和軽粉は「伊勢白粉」とも称され、化粧品として珍重された。また性病の特効薬であり、腹痛等の内服薬、皮膚病等の外用薬、シラミ等の駆虫剤としても利用された。丹生(勢和村)産の水銀が主原料で、射和の朱中山(しゅなかやま)から採れる赤土が使われ、最盛期の室町時代には射和町に80以上の釜元があったという。しかし、水銀産出量が減少すると軽粉業は衰退し、江戸時代末期には16釜となり、昭和28年にすべての釜が姿を消した。
本資料は、最後の釜元宮田家において実際に使われてきた製造道具類で、総数にして34件136点に及ぶ。