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射和万古窯跡
(いざわばんこかまあと)
市指定史跡
丘陵の南麓の傾斜地にある射和万古の窯跡である。諸施設を備えた窯場のうちでも、連房式の本窯部分である。上部は失われ、基底部が埋没しているものと思われ、小面積ながらも原形が推定できる。しかし、本窯以外の諸施設の場所は、切り下げられて現在、射和小学校の敷地になっており、射和万古操業時の施設として確認ができる唯一のものである。
文久元(1861)年の『開墾茶桑園図帳』(射和文庫蔵)の絵図によれば、操業時のカマ(本窯)・カマ(錦窯・きんがま)・細工場・サヤ蔵・カマ(絵付けの錦窯か)・土場・陶蔵・水溜が描かれている。
操業は、安政3(1856)年から文久3(1863)年の短期間であるが、急須・油皿・丼・手塩皿・片口・鉢・植木鉢・土瓶・雪平・徳利・猪口・花入・油注・水指・香盒・灯籠・唐獅子などに及ぶ。