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勅使塚

ページID:0111855 更新日:2019年10月24日更新 印刷ページ表示

三雲管内

93-171
勅使塚
(ちょくしづか)

市指定有形文化財(建造物)

概要

1基/平安時代/曽原町/昭和37年11月15日

 平安時代後期から鎌倉時代にかけての事柄を書いた『吾妻鏡(あずまかがみ)』の養和(ようわ)元年(1181)10月20日の条には太神宮度会光倫が鎌倉の源頼朝のところへ来て神宮に起きた奇端を報告する状況が記されるのであるが、その前後に「神宮祭主大中臣親隆の長子、神祇少副定隆が、伊勢国一志駅家において頓死(とんし)した」という記事がある。その頓死した大中臣定隆を埋葬した場所であると地元では言い伝えられている。そして、その場所に勅使塚の文字を刻んだ石碑が建てられている。

勅使塚