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松阪市の概要
市章
松阪市の「マ」をモチーフに、「市民・地域の個性が光り輝き、誇りと美しさを備えた交流都市」をイメージし、楕円は未来への広がりと発展を、交差する曲線は出会いと交流を表し、青は人々の活き活きとした活動と個性を意味します。
歴史と文化
松阪市には国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や西日本最大級の祭祀場を有する国指定史跡の天白遺跡があり、この地域が縄文時代から繁栄していたことを物語っています。
また、伊勢地方で最大規模の国指定史跡宝塚古墳(5世紀)から日本で最大の「船形埴輪」が出土し、伊勢平野の広い範囲に影響を及ぼしていた「王」が存在していたと推測されます。
奈良・平安時代には、都と東国を結び、伊勢神宮を中心とする道路網が開かれ、伊勢街道や伊勢本街道が大和をはじめとする要所と伊勢を結ぶ街道として重要な役割を果たし、この地域の発展に大きく影響を与えました。
そして、天正16(1588)年、蒲生氏郷の松坂開府により、伊勢街道が松坂の町中を通るようになりました。
その後、江戸期を通じて、和歌山街道と伊勢街道が合流する交通の要地であったことから宿場町として栄え、魚町・市場庄の家並みや波瀬の本陣跡は当時の繁栄を忍ばせます。
明治、大正、昭和の時代を経て、国道23号、42号、166号が交差する交通の要衝として17万人余りが生活する地域を形成しました。
平成17(2005)年1月1日に、松阪市・嬉野町・三雲町・飯南町・飯高町の1市4町が合併し、新しく生まれた松阪市は、南三重の中心都市としての役割を担い、更なる発展が期待されています。
※「松阪」と「松坂」について
氏郷の開府以来使用されていた「松坂」は、「大坂」が「大阪」に変更されたこともあり、明治22年(1889年)の町制施行の際に「松阪」に統一され、現在に至っています。
※「松阪」の読み方について
江戸時代から「まつさか」または「まつざか」の2通りの読み方が存在していましたが、平成17年(2005)年1月1日の市町村合併に伴い、読み方を「まつさか」で統一しました。
地理と自然
松阪市は、三重県のほぼ中央に位置し、東は伊勢湾、西は台高山脈と高見山地を境に奈良県に接し、南は多気郡、北は雲出川を隔てて津市に接しています。
地形は、西部一体が台高山脈、高見山地、紀伊山地からなる山岳地帯、中央部は丘陵地で、東部一帯には伊勢平野が広がり、北部を雲出川、南部を櫛田川が流れています。
面積は、東西50km、南北37kmと東西に長く延び、総面積で623.58平方キロメートルを有し、三重県全体の約10.8%を占めています。用途別にみると、耕地76.80平方キロメートル(12.3%)、宅地30.41平方キロメートル(4.9%)、森林427.61平方キロメートル(68.6%)となっており山林の占める割合が高くなっています。
気候は、おおむね東海型の気候区に属し、西部は寒暖の差がやや大きく内陸的な特性を持っています。
年間平均気温は14℃~16℃で、降水量は平野部では1,500mm程度ですが、山間部では2,000~2,500mmとかなり多くなっています。
全般的には温暖な気候となっています。