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まつさか若者クラブ 3rd season 3回

ページID:0115582 更新日:2021年10月20日更新 印刷ページ表示

若者クラブ3rd 第3回 令和3年10月20日

登壇者

西山裕貴さん(ユーニシヤマ)
北山北斗さん(夢ファームターちゃん)

内容(要旨)

トークセッション

〔西山さん〕
―自己紹介―
高校の時から服飾デザインを志していた。名古屋のデザインの専門学校に3年、卒業後3年間スポーツ用品の会社でデザインの仕事し、その後NYにて2年間ファッションの勉強をしてきた。
27歳の時の日本に戻り、1年間アルバイトとして現職であるユーニシヤマで働いたあと、正式に入社し、家電の学校(松下幸之助商学院)に通い現在に至る。

―ファッションにはまった理由は?―
高校生の頃に奇抜な格好の美容師と出会ったのがきっかけ。古着が好きで大阪などに行っていた。高2のときファッションが天職だと思った。

―NY行きはいつ頃決めたのか?―
スポーツ用品会社に入社した時(高校を卒業するとき)から決めていた。スポーツ用品は希望していたものと違ったので、スポーツ用品の会社は元々2年程度で辞めるつもりでいた。

―NYではどのようなことをしていたのか?―
有名な大学があってそこに行きたかった。最初はフォトグラファーのアシスタントから始まった。ほかの人のアシスタントに移り、自分のデザインの腕を振るうこととなった。最終的に自分の作品を展示してもらうことができたので日本に帰ることにした。
仕事の話ではないが英語ができないまま渡米したので、生活に困ることは沢山あった。大使館でのビザ取得で苦労したのを今でも覚えている。

―今の仕事のきっかけは?―

妻とは高校からの付き合いでNYにいるときから今後の生活(結婚のことなど)を考えていた。NYでグリーンカードを取得して住む予定だったが、その日暮らしであったため日本に帰ることにした。東京に進出したくて資金を貯めるため実家の電気屋でバイトを始めたのがきっかけ。
特に物を買ってもらって「ありがとう」と言われることに衝撃を受けた。
あと、NYでやりきってファッションへの思いが昇華された気持ちになっていたのも大きいと思う。

―前から事業を継ぐことを言われていたのか?―
特に言われていない。社員のだれかが継ぐものだと考えていた。

―仕事をするにあたり、気を付けたことは?―
家電に関する知識がほぼなかったので、しっかりと知識を身に着けることが必要だと考えていた。松下の学校に通おうと思ったのも早く知識を身につけたかったから。卒業後3年経って一番の売上をあげるようになった。実力をあげて周りと対等に話をしたかった。

―松下幸之助商学院とは?―
街の電気屋の後継者のみが入れる学校。朝5時起き、マラソン、掃除などを通じて管理された環境で中国古典、経済、心理学、帝王学を学ぶ。
勉強自体も面白かったが、様々な年代の人が在学しており、高卒の人が多く若い世代との接し方を学べたことが大きかったように思っている。

―前の職が役に立ったことは?―
デザインするためのソフトが使える。ポスター、チラシを自分で作成する。アルペンでは何百人と働いていたので組織運営のことは分かっていたのも大きかった。

―どんな仕事をしているか?―
家電販売とメンテナンス。ルート営業。顧客に対して販売、提案、リフォームとかもしている。ハチの巣取ってみたいな困りごと相談も受ける。

―まちの電気屋としてこれから生き残っていけるか?―
物を売ることだけでは限界がある。それ以外の目線(サービスの提供など)で考えていく。

―今後の展望は、自分たちの代になったらどういうことをしたいか?―
ネット販売が強いため物を買うならネットとなってしまう。そのため、サービスを売っていくことが大事になると考えている。ちょっと聞きたいことがあればすぐに答えることができる身近な感じがまちの電気屋の強みで、そこがビジネスチャンスとなると考えている。
また、社内の編成もオールマイティな人材を育てようとすると時間がかかるので仕事を分業している。

〔光山さん〕
―自己紹介―
名古屋出身。20歳から33歳まで宝飾販売店で勤務し、29歳の時に結婚し、繁忙期など妻の実家が経営している夢ファームターチャンにて農業の手伝いをするようになる。
33歳の時に職を辞し、夢ファームターチャンに入社する。

―どのような仕事をしているのか?―
三雲地域で東京ドーム7個分の田んぼを扱っている。
代表は奥さんの父親。経理などは事務方に任せ、現場中心で仕事をしている。

―前職の宝飾業についたきっかけは?―
高校の時に手に職を付けたいと思い、アクセサリー、ジュエリー作成の学校に入った。しかし、就職口がなく、あってもバイト並みの給料しかなかった。そのため、宝飾販売の仕事につくことにした。宝石のリメイクについては自分のしたいことに近かったが、作ることは忘れて、販売一本だった。

―宝飾ではどんなお客さんを相手にしたのか?―
百貨店に入っている店ではないので、小額からの販売で一般的な方がお客さんだった。信頼を築き何十万円の売上へとつなげていくことが仕事。

―宝飾→農業のきっかけは?―
家族のため。前職では店長をしており、休みの日でもお客さんと連絡を取っていた。仕事と休日が分けられないような日々をおくっていた。その中で農業の手伝いをしていて面白さを感じた。どうせやるなら若いうちから始めて、地域になじんだほうがいいかなと思い、思い切って仕事を辞めて農業の世界に飛び込むことにした。

―気を付けたことは?―
地域の方に溶け込むこと。自分をアピールしてコミュニケーションをとっていると、下の名前で呼ばれるようになった。出合い(地域の作業)にも積極的に参加していった。おかげで、困っていることや分からないことがあっても周囲の人に聞きやすくなった。

―前職が役に立ったことは―

販売の仕事はお客さんにしっかりとコミュニケーションをとることであった。その経験は地域の人たちとコミュニケーションをとるときに役に立った。

―どういう仕事?―
担い手農家。耕作する人がいない農家から土地を預かって、賃料を払い、管理する。主に稲作をしている。
全国発送もしている。インスタ、メルカリで販売するなど全国発送をしている。よいお米作りを意識している。また、ふるさと納税の返礼品にもなっている。

―今後の展望は―
機械化がここ何年か急に進んでいる。田んぼの台帳をデータ化することや、ドローンを使った農薬の散布もできる。
新技術の導入でこれからまだ伸びる分野であると考えている。
費用対効果をしっかりと考えることが重要。
批判をするわけではないが、日本の米を安いからという理由で外国人労働者にたのむのはどうかなと思っている。
個人的な展望であるが、日本でも社会に出られない人もいるので農業をきっかけに変わっていただけないかという就労支援もしたい。

ブレイクアウトルームでの内容

〔光山さんへの質問〕
―転職して収入面はどうなったのか?―
年収が100万円ほど下り、休みは少なくなったが苦ではない。
むしろ、スーツを着ることもないし、お客さんに贈り物をすることもなく、生活の経費も下がったので生活のクオリティは高くなったと感じる。

―担い手農家について、土地の持ち主にお金を払うのか?―
田んぼの条件によってまちまちである。山あいの土地だとタダの場合もある。収穫した米で支払う場合もある。

―近隣農家の反応は?―
取っつきにくい人もいるがこちらから積極的にいく。妻の父が周りと知り合いなのが大きい。

〔西山さんへの質問〕
―留学先としてアメリカを選んだ理由は?―
自分のブランドを持ちたい。上を目指したい。3大コレクション(パリ・ミラノ・NY)の一つがある。ファッションが良いのは海外だと考えたから。

―NYの生活で大変なところは?―
言葉が通じないこと、すべて最初からしないといけない、友達作り、アルバイト探しなど。ルームシェアしないと家賃が払えないのでその相手探しも苦労した。英語でプレゼンする必要があり非常に苦労した。

―新規開拓については?―
街の電気屋は敷居が高いと思っている。HPに明確に金額を出す。コミュニケーションの機会を増やすことやSNSなどを使い無償で問題解決することもしていく必要がある。

―経営者側からの問題点は?―
つい、今の売上を気にしてしまう。将来まで見据えて戦略を定めることが大事だと思う。

―父との対立は?―
考えが違うところもあるが、どうやって会社を成長させるかに落ち着く。

―子に引き継がないのか?―
事業として成り立つならば継いでほしいが、もし子どもが継ぎたいと言ってもまずは一社員から。

―組織の若返りに必要なのは?―
技術継承。若い人が年配者をフォローすること。

―現在、デザインの仕事への思いは?―
特にない。シビアな世界だったと思う。前職のアルペンでもポストの奪い合いであった。

―他の事業は考えているか?―
一線を退いたら雑貨屋・カフェなどを経営したい。スローライフをしたい。

参加者の感想

  • コミュニケーションが難しいとき自分のリミッターのようなものを外すことの重要性を知れた。
  • 1対1のコミュニケーションはできるが、多数相手だと苦手。いい意味でバカになりたい。

所感

登壇者が二人とも福祉的な視点を保持していることが興味深かった。とくに「ユーニシヤマ」の西山氏が今後対人サービスを重視した戦略を考えているとのことであったが、これは公的な制度(介護保険等)の対象となっていない高齢者の見守り等支援において有効である。
松阪市においても総合事業において地域団体(住民協議会等)の相互サービスについては補助をおこなっているものの、地域企業との協力関係は現状少なく新たな可能性をうみだすかもしれない。


まつさか若者クラブ
1st season(平成29年度)
2nd season(平成30年度)
3rd season(令和3年度)
SDGs×松阪市 オンライン講演会(令和4年度)
松阪未来対談