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まつさか若者クラブ 3rd season 2回

ページID:0115585 更新日:2021年9月15日更新 印刷ページ表示

若者クラブ3rd 第2回 令和3年9月15日

登壇者

高杉 亮 さん(松阪市地域おこし協力隊/株式会社高杉アトリエ)
西出 悠哉 さん(常盤農産)
石川 真二郎 さん(UNDER GREEN株式会社)

内容(要旨)

トークセッション

〔高杉さん〕
―自己紹介―
自分の会社でデザインの仕事をするのと並行し、地域おこし協力隊もしている。松阪市に住み始めて1年ほど経過している。地域おこし協力隊の仕事の一環として、今回の若者クラブのチラシもデザインした。

―元々デザインを勉強していたのか?―
食品会社(ワサビの製造)で働いておりデザインとかかわりはなかった。

―仕事はあるのか、松阪市に来たきっかけは?―
移転したが仕事量にはあまり影響していない。コロナでオンラインになったくらい。
妻が松阪出身で、5年前に嬉野に来る機会があった。農家を訪ねて古民家を紹介してもらいリノベーションに携わった。松阪に月に何度か通い、市とも関わることもあったので来ようと思った。

―松阪に住んでよいところ―
渋滞がない、食事がおいしい、夏が涼しい。

―松阪の変わったところは?―
大阪人よりソフトな印象、松阪弁が分からないことがある。
例)ひやかい(冷たい)の意味。

―起業時に苦労したことは?―

手形決済で立て替えのお金が多くなり、貯金が底をついたこと。

―軌道に乗せるのにどれくらい?―
今も乗っていないかもしれないが、なんとか10年やってきた感じ。何が安定か分からない。変動ありきで考えている。

―顧客はどう見つけたの?―
ゼロから始めた。以前の転職先から仕事をもらった。営業活動はしていない。ネットの検索で認識してもらうようになった。

―仕事に対する考えは?―
始めるのは簡単だが、やめることはむつかしい。仕事をしていくなかでつながりが生まれ、責任が生じる。やめると困る人もいるので簡単にやめることはできないと考えている。
40歳前後がデザイナーとしては楽しいのではないかと考えている。50歳代になると発注者が若くなってきたときに考えが合わないこともあり、デザイン一本でずっとやっていくのは難しいと考えている。

―松阪に来た理由―
コストがかからないようにしたかった。以前は名古屋市東区にいたが名古屋の駐車場料金=松阪での家賃となっている。

―起業にあたって気を付けることは?―
デッドラインを決める。株式でいう損切。何年やってうまくいかなければ、あるいは貯金がなくなったらやめる。どこで方向を変えるか決めておくこと。

―展望は?―
どう今の仕事からフェードアウトするか。終活についても考えるようになった。
地域に根差して活動していくことを考えている。今住んでいる地域に足りない要素を補うため、民泊をするため古民家を買った。事業見直し補助金を活用して来年には動けるようにしていきたい。

〔西出さん〕
―自己紹介―
イチゴ農家をしている。20代は愛知県で仕事をしていた。人間関係などで仕事のあり方を考えるようになった。

―松阪に来たきっかけは?―
もともと出身は松阪で、親戚もいるので戻りたいと思っていた。
仕事を探すがこれといったものがなかった。愛知県の農家の人からの勧めがあった。基盤はなくとも制度を利用することを教えてもらった。

―いちごといえばジャムにするなど加工のイメージもあるがどういったことをしているのか?―
出荷が中心で農協に取りまとめて出荷している。わずかだが直売もある。今は加工品の販売などはしていない

―松阪に来てみての印象は?―
チェーン店が進出してきても、はやるのは最初だけ。伝統を重要視すると思いきや、そこまで思ったほどではなかった。

―苦労されたことは―
技術と経営の両面で今も苦労している。

―直売などはされないのですか?―
イチゴはパック詰めして農協にまとめて卸している。正規品は全て買ってもらえる。
直売はヨコのつながりも考えて安価に売ることはできず、店頭価格並みの価格になる。
作業の手間などを考えると、農協に出荷するほうがよいと思っている。また、直売があると作業が中断してしまう。そのため直売にはそこまで力を入れていない。

―原動力は?―
世のためになる仕事をしていると思っている。安定供給が使命であり、地元で役に立ちたいという思いがある。
農業をしていると地域に少しずつ認めてもらえると感じる。最近はコメを作らないかと言われるようになった。ノウハウがないから無理だが、声がかかるということは少し認められたのかなと思った。

―農業を続けるためには?―
新規に始めるには計画書を作る必要がある。面積を拡大したいがなかなか計画通りいかない。今の面積でしっかり収穫量を上げることが当面の目標である。
家から職場まで車で7分のところにあるが農業をする上では遠いので職住一体が必要と考えており、いろいろ方法を模索している。

―起業にあたり大事にしたことは―
住んでいる地域に貢献できるようにということを大事にした。たとえば、地域の出合い作業に積極的に参加するなど。

〔石川さん〕
―自己紹介―
10年ほど前から冷凍パスタソースを取り扱うパスタソースキッチンを経営。

―最初から料理することを目指していたのか?―
料理は好きだが、目指してはいなかった。

―前職の製造会社から今の仕事には関連があるのか?―
学生時代に起業してカフェを開いた経験があり、そこが原体験かもしれない。大学卒業時にはサラリーマンを経験したかったという思いもあったので大手の会社に就職した。製造・生産管理をしていた。製造面というところでは今につながる。

―最初から松阪で事業することを検討していたのか?―
最初は東京でしようと思っていた。

―松阪で商売するにあたってどう感じているか?―
松阪の人は安くてよいものを求める傾向にあり、目が肥えていて商売をすることが難しい。
全国展開をしているような会社の人から松阪で売れているものは伊勢や津でも売れるという話を聞いたことがある。
あと、松阪弁が分からないことがあった。

―最初の苦労は―
2012年OPENしたがテイクアウトの考えが広まっていない。レストランや弁当を売っているところだと思われる。冷凍食品の店だと認識してもらうのに苦労した。
分かってもらうのに3~5年かかった。

―なぜお持ち帰りのパスタソースなのか?―
イタリアでの経験が背景にある。前職で製造の現場を知ることの重みを知った。イタリアでは料理の勉強もそうであるが、食事時間を長くとり食事を大切にしていることを知った。この食文化に注目し、単に栄養のためも食事ではなく、食卓が中心の生活を実現したかった。パスタソースをきっかけに家族が集まれることを聞くとそれを実感できた。

―どうしてイタリアなの?―
東京では季節感がない。イタリアでは緑を感じられ、素材をいかした食事もあるので。

―なぜ冷凍食品の販売を選択したのか?―
2010年当時は冷凍食品にはおいしくないというイメージがあった。イタリアでは調理をして一番美味しいところを冷凍する方法があり、この方法が日本でも通じるのではないかと考えた。

―起業にあたり心がけたことは?―
楽しもうと思うこと。ゲーム感覚、少しの楽しみを大切にする。100の苦労があり1つの楽しさを大切に。

―展望は―
ここ(松阪)でしか作れないものをつくっていきたい。今は自家製ハーブを使ってレベルの向上をはかるつもりでいる。

トークセッション後の質疑応答

〔高杉さんへの質問〕
―地域おこし協力隊の活動内容は?―
広告作り、今後の事業への組織づくり、飯南高校への進学者を増やすこと、空き家を流動的にすることなどをしている。
地域の困りごとを解決するイメージ

―飯高町宮前(現在高杉さんが住んでいる地域)の雰囲気は?―
嬉野には家族の別荘と食品加工場の家をもっているが比べると人の往来が多く、旅人をむかいいれる気風が強いように思う。

―飯南高校への支援をお願いします。―
県外からの受け入れのため下宿先を増やすことを考えている。協力隊だけではマンパワーが限られる。飯南高校とこれからも何ができるか仕組みを考えていく。

〔西出さんへの質問〕
―作業と経理を一人でしているのか?―
一人でしている。昼に作業、夜に経理など事務をしている。稼ぎが大きくなって経理を外部に委託できるようになりたい。

―三重で農業することについて―
三重県で農業をしようとすると(県の職員には)多気町を勧められる。多気町はIターン、Uターンを強く推進しており、多気町に農業志望者を取られていると感じている。そのあたりは首長の考えや自治体の規模の差もあるのかもしれないが松阪市にももっと来られるようにならないかと思ったりもする。

―農地の集約と産地の強化について―
ゆららに集荷場がある。そこから名古屋市中央卸売市場北部市場に出荷している。
ある程度数がまとまればブランド力も上がる。
土地利用について。面積を増やすとその分人手がいる。ハウスも立てないといけないので難しい。

〔石川さんへの質問〕
―ハーブを使うことへの課題は―
ハーブは刺身でいう薬味にあたるもの。
地中海周辺で育てるものであり、日本では育ちづらい。市場にあるものは香りも高くなく、値段は高い。そのため、自分で作り朝とれたハーブを使えたらと考えている。ワイルドストロベリー(野イチゴ)もハーブの一種である。
※イチゴ農家の西出さんがいたので上記の例が出た。

―10年後の姿は?―
こんなパスタ見たことがないと言われるようなおいしいものを作りたい。

参加者の感想

  • 起業のイメージが変わった。起業するまでが大変だと思っていたが、事業を維持することの大変さが分かった。
  • 松阪で起業できるのが意外。松阪でするから良いと言えるように自分でできることを考えていきたい。
  • ボードのブランドを立ち上げているがいろいろ聞けて良かった。
  • 大変だけと起業は楽しそう。身近に感じた。思い立ったら行動していきたい。

所感

いずれの登壇者も共通している点が「松阪で作り都会で売る」という点であった。このあり方は過去の松阪商人の在り方とリンクしており、インターネット技術が発達した現在においてはそのあり方がより容易になっているように思う。
しかしながら、いずれの登壇者も松阪を選んだのは偶然(身内がいるなど)であり、「豪商のまち」として新たな豪商を生み出すというストーリで起業しやすいまちという制度設計をしていくことが有効ではないかと考える。


まつさか若者クラブ
1st season(平成29年度)
2nd season(平成30年度)
3rd season(令和3年度)
SDGs×松阪市 オンライン講演会(令和4年度)
松阪未来対談