松阪の城下町は、伊勢街道や和歌山街道を行き交う多くの旅人でにぎわい、宿場町として大いに栄えた。
市内には、本陣・脇本陣などが置かれ、当時を偲ばせる町名・小路名が標柱として残る。
江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家屋敷。このような組長屋は全国でも大変珍しく、今も人々の暮しが営まれている。西棟北端の一軒は内部を公開。(国指定重要文化財)
江戸時代に同心町とよばれた地区の一角にある明治大正期の篤志家・原田二郎の旧宅。江戸時代から続く武士の住まいを表現しつつ、明治15年(1882)に増築した箇所は、原田二郎が松阪に帰郷していた頃の間取りを再現している。(市指定有形文化財)
松坂城跡周辺の四五百森にある神社。境内にある長寿樟は樹齢900年ともいわれ、根元には国学者・本居宣長の歌碑もある。
学徳達成の神として崇敬されている国学者・本居宣長を祀る神社。境内の石の駅鈴や七種鈴をあしらった石灯篭から、宣長が鈴の音を愛したことが偲ばれる。
「古事記伝」で有名な宣長の自筆稿本や遺愛の品約16,000点を収蔵。その隣は宣長が12歳から亡くなるまで暮らした旧宅「鈴屋」(国指定特別史跡)があり、偉大な国学者の当時の生活が偲ばれる。
建物だけでも歴史を感じるこの資料館は、明治44年に建てられた図書館を改装したもの。館内は松阪木綿や伊勢おしろいなど松阪商人に関する資料が展示されている。(国登録有形文化財)
天正末年、蒲生氏郷により飯高郡平尾から遷社され、松坂城の鬼門よけとしても信仰された。本居宣長は、氏神である同社へ「古事記伝」全44巻を奉納している。
「岡寺さん」と呼ばれ親しまれている厄除け霊場。3月最初の午の日に近い土・日に開催される初午大祭では、厄年の人のみならず大勢の参拝客がにぎわいを見せる。
高見峠は奈良時代、都への北街道鈴鹿峠に対し南街道として開かれた峠道。和歌山街道と呼ばれ参勤交代やお伊勢参りの要地としてにぎわった。
浄土宗で本居一族の菩提寺。宣長が説教をよく聴きに行ったお寺で、境内には宣長の「参り墓」と春庭の墓などがある。
もとは北畠氏が建てた寺で、裏門は松坂城の中門を移したものだといわれている。三井家とも縁のあった古刹である。
本堂(国指定重要文化財)裏門(市指定有形文化財)
通称「あたごさん」。毎年1 月24・25(初愛宕)日には、堂内や境内で護摩をたき、火防・開運招福を祈る火の祭でにぎわいを見せる。境内入口にある「三門」は県指定有形文化財。