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阪内城跡・阪内御所跡
(さかないじょうあと・さかないごしょあと)
市指定史跡
城跡は標高302mの山頂部、東西50m、南北55mの範囲内にあり、細長い台状地を中心に平坦地、堀切りが残る。また、城主の居館跡と思われる御所跡は、城から谷を挟んで西に見下ろした山麓にあったが、現在は阪内幼稚園となり、往時の遺構は残らない。
本城は応永年間、伊勢国司北畠家一門の北畠雅俊が入城し、その子孫は代々坂内姓を名乗り、「坂内御所」とも称された。天正4年(1576)11月、7代具義は北畠信雄の謀略により田丸城において殺害され、やがて本城も廃城となる