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古写真に残る松坂城跡の姿

ページID:0139888 更新日:2023年7月5日更新 印刷ページ表示

 慶応4年(1868)に公布された神仏分離令を契機に発生した廃仏毀釈に対して、危機感をもった明治政府は、文化財の実態調査を行いました。それが明治5年(1872)に実施された「壬申検査」です。この時に撮影された松坂城跡の写真としては10種類が知られており、現在、東京国立博物館に保管されています。

 なお、写真タイトルにある「蒲生城」とは「松坂城」のことで、松坂城を築城した戦国武将「蒲生氏郷」からとられた呼称です。

 (1)蒲生城址入口(撮影箇所不明)

 (2)蒲生城天守跡(本丸天守台付近)

 (3)蒲生城址(三ノ丸大手筋付近)

 (4)蒲生城裏手(三ノ丸搦手筋)

 (5)蒲生城入口(三ノ丸大手筋付近)

 (6)蒲生城追手門(表門付近)

 (7)蒲生城追手門(裏二ノ門)

 (8)蒲生城裏手門(二ノ丸御殿裏手付近)

 (9)蒲生城古門(二ノ丸御殿裏手付近)

 (10)蒲生城(裏門付近)