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本居宣長墓(樹敬寺)附 本居春庭墓

ページID:0111717 更新日:2020年5月11日更新 印刷ページ表示
  • 本庁管内
  • 市街地区

7-31
本居宣長墓(樹敬寺)附 本居春庭墓
(もとおりのりながのはか(じゅきょうじ)つけたり もとおりはるにわのはか)

国指定史跡

概要

  • 2基
  • 江戸時代
  • 新町 樹敬寺
  • 指定面積:9.42平方メートル
  • 昭和11年9月3日

 宣長の墓は二つある。山室の奥墓(おくつき)と、菩提寺樹敬寺(じゅきょうじ)の墓である。樹敬寺は少年宣長に大きな影響を与えた寺で、塔頭嶺松院(たっちゅうれいしょういん)の歌会には、44年にわたり参加した。奥墓が、晩年仏教を廃した宣長の思想の象徴であるならば、妻や家族と眠るこの墓は、社会の一員、また小津家・本居家の当主としての自覚の象徴と見てよい。碑面には宣長と妻勝の戒名「高岳院石上道啓居士」「円明院清室恵鏡大姉」(宣長筆)と刻む。その背後には、長男春庭と妻壱岐の墓がある。二人の戒名は「明章院通言道永居士」「雅静院淑和慧厚大姉」。いずれもその生涯を象徴する文字が選ばれている。またこの墓地には、宣長の祖先の歴代小津家、子孫である本居家の合計26基の墓がある。

本居宣長墓(樹敬寺)附 春庭墓