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本居宣長墓(山室山)

ページID:0109632 更新日:2020年5月22日更新 印刷ページ表示

本庁管内 中部地区
34-73
本居宣長墓(山室山)
(もとおりのりながのはか(やまむろやま))

国指定史跡

概要

1基/享和元年(1801)/山室町/指定面積:231.14平方メートル/昭和11年9月3日

 宣長が亡くなったのは、享和(きょうわ)元年9月29日、現在の11月5日。落ち葉散り敷く季節であった。亡骸(なきがら)は山室の妙楽寺山頂に葬られた。立木の向こうには、松阪の町、遠く三河や、富士の頂までも望めたという。墓石には「本居宣長之奥墓」(自筆)と刻まれる。その背後には好きだった山桜が植えられている。
 墓は概ね『遺言書』に基づき設計されたが、明治時代この地に山室山神社が創建され、付近の景観は大きく変わった。「山室に千とせの春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見め」。亡くなる1年前に、門人たちとこの地に遊び、墓所を選定した時の歌である。墓の傍らには、没後の門人平田篤胤、門人の版木師植松有信の歌碑がある。

本居宣長墓(山室山)