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本庁管内 西部地区
26-63
伊勢寺跡
(いせでらあと)
県指定史跡
奈良時代/伊勢寺町世古 国分寺境内/指定面積:2,180平方メートル/昭和12年11月5日
伊勢寺町地内に入って間もなく、市道外五曲伊勢寺線の北側に一段高く、真言宗に属する国分寺(かつては慶雲寺と称していたが、江戸時代になって国分寺と改められた)の境内がある。かねてより、この国分寺境内を中心として方位にのった方形地割(ほうけいちわり)が残っているため、東西150m、南北180mの方形区画が伊勢寺跡の寺域と推定されていた。
昭和63年から平成元年にかけて県営ほ場整備事業にともない発掘調査が実施され、寺域の北と東西を区画する溝が確認できた。この結果、創建時から4回の溝の掘り直しがおこなわれ、東西幅は溝の時期によって、約100mから約110mになることが判明した。史跡の指定範囲は遺跡の一部で、現在の国分寺境内に限られる。
伊勢寺跡の創建は出土瓦や調査結果から7世紀末ごろと考えられ、その後、奈良時代から平安時代前期にかけて寺域が徐々に拡大して大規模な伽藍(がらん)の整備が行われたと思われる。なお、寺域からは、奈良三彩(ならさんさい)の須弥山(しゅみせん)と思われるものが出土している。