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宝塚古墳から日本最大の船形埴輪が出土 !

H12.4.19更新

 古墳のまつりの場とされる「造り出し」と古墳の中心部をつなぐ通路「土橋(どばし)」が、全国で初めて発見された宝塚1号墳で、今度は日本最大の船形埴輪(ふねがたはにわ)が見つかりました。この船形埴輪は、その大きさだけでなく、これまでにない装飾がなされていることから、第1級の埴輪資料であると全国的な話題になりました。


船形埴輪説明図

 宝塚1号墳から出土した船形埴輪は、ほぼ完全な形に復元でき、全長140センチメートル、高さ90センチメートル、最大幅25センチメートルあります。船形埴輪そのものは、大阪府や奈良県などで29の出土例がありますが、今回出土した船の大きさは日本最大です。

 さらに特筆すべきは、これまでの船形埴輪にはない豪華な装飾がなされていることです。船の船首と船尾には、権威を象徴する鰭(ヒレ)状の突起が多数付けられています。また船体には、同じく権威を象徴する日傘のような蓋(きぬがさ)、王者のもつ杖(つえ)とされる威杖(いじょう)が2本、威厳を示す大刀(たち)が、マスト状に立てられていました。

船形埴輪斜め正面より

 こうした飾りを持つ船は、古墳の石室に描かれた壁画や古墳の周りに立てられた円筒埴輪に描かれた絵などでは知られていましたが、船形埴輪として出土したのは全国で初めてです。このため、古代の葬送(そうそう)の儀式に使う船は様々な権威を示すものをマスト状に飾り立てるという、今までの絵画による資料を裏付ける、全国でも最高水準の埴輪資料と言えます。

 もちろん船は、漁などをするために縄文時代から存在していましたが、その頃の船は、大木の中をくりぬいた丸木舟でした。それが弥生時代になると、くり舟の上に部材を足して大型化を図ったものがみられます。これが準構造船と呼ばれるものです。

 宝塚1号墳が造られた今から1600年前の船も準構造船で、船首と船尾が大きくせり上がっており、これは大波を乗り切れるように造られているためです。奈良時代から平安時代にかけて、中国に日本から遣(つか)いを送った遣唐使(けんとうし)船の絵などでも外洋航海を可能なものとするため、船首と船尾がせり上がっています。

 ただ、宝塚1号墳の船のせり上がりはあまりに激しく、また、船の大きさに対する大刀の巨大さからも誇張した表現がみられることが分かるように、あくまでも実際の船ではなく埴輪として作られたものです。楕円形の埴輪2個分の形をしている船底部分からもそれが言えるでしょう。

 船を進めるの穴は、左右に3対ずつ計6か所ありますが、左右で一定の方向に開けられ、推進方向が分かります。また船本体はもちろん、威厳を示す鰭飾りや船に描かれた模様も丁寧に作られていて、美術的にも大変すぐれたものです。

 なお船は、楕円形の底の部分が土に埋められた状態で見つかり、隠れていた部分を除き、赤色の塗料が塗られていました。赤色は従来から「神聖なものを守り、邪悪なものを退ける」意味があるとされていますので、古墳に埋葬された人の霊魂が何者にも妨げられず黄泉(よみ)の国へ旅立てるよう、祈ったものかも知れません。

 以上のことから考えると、宝塚1号墳から出土した船形埴輪は、松阪市民のみならず国民全体の貴重な財産として位置づけられ、後世に伝えられるものとなることでしょう。

発見した状態 / 現地の地図 / 埴輪の斜め前方からの拡大写真

さらに興味のある方のための部分拡大写真 と 自由回転画像

自由回転画像を見るには、QuickTimeが必要です。


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