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有形文化財[文 書]

西黒部文書

888点/江戸〜明治時代/松阪市立図書館郷土資料室
昭和31年12月5日県指定

紀州藩領西黒部村の喜多村家に所蔵伝来されてきた、江戸時代初期から明治末年にいたる庄屋文書で、総数にして888 点に及ぶ。
本文書の中で特記すべきものとしては、河口・海辺の低湿地帯における新田開発や風水害対策に関する資料、各年次を通してほぼ完備した検地帳・御用留帳などがあげられ、近世の農漁村経営資料として史料的な価値も高い。

本居宣長稿本類並関係資料

467種1949点/江戸時代/本居宣長記念館(本居弥生氏寄贈)
昭和43年4月25日国指定、平成13年6月22日追加指定

国学者本居宣長(1730〜1801)の72年間の生涯の資料を網羅する。
大別すると、宣長自筆資料(これはさらに著書と記録類に分かれる)、宣長宛書簡、そして宣長の自画像となる。
著書では、代表的なものに『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』。
記録では、『日記』『済世録』など。
宣長宛書簡では、家族、知人、門人の書簡が数多く残るが、白眉は京都に遊学していた宣長に宛てた、母の66通の書簡である。
なお、自画像(四十四才像、六十一才像[写真])二幅が附となっている。

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本居宣長自筆稿本類及び関係資料

19種30点/江戸時代/本居宣長記念館(本居弥生氏寄贈)
昭和49年3月28日県指定

本居宣長とその長男春庭など周辺の人の資料が含まれる。
宣長関係では、国指定より、さらに広い見地に立ち資料の選定をしている。
主だったものとしては、宣長の蔵書、歌合評(うたあわせひょう)、宣長が『古事記伝』を書き終えた時の歌、また販売していた薬の広告文案、山室に奥墓を造る前(写真)後の資料、墓碑の下書きなどがある。
本居春庭(1763〜1828)は宣長の長男。
32歳で失明したが、その後も妻や妹の助けをうけ、日本語の文法を研究した。
指定の『詞(ことば)の八衢(やちまた)』『詞(ことば)の通路(かよいじ)』は、春庭の主著である。
動詞の活用形、自動詞、他動詞について考察したもので、後世に大きな影響を与えた。

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真盛自筆消息

1幅/明応3年(1494)/白粉町512 /来迎寺/紙本墨書/掛幅装、25.4×42.6cm
昭和46年3月17日県指定

天台真盛宗の開祖真盛(しんせい)上人から高弟の盛音に宛てた自筆の消息文である。
文面は、「いさわ寺」の坊主が百断の修行をしたけれども一向に正体がない、それについて上人の考えを述べたものである。
ここにいう「いさわ寺」は、当時上人の布教の拠点となっていた射和町の延命寺のことと思われる。
なお、末尾に成願寺(一志郡白山町上ノ村)でおこなう四十八日別時念仏(明応3年8月実施)までに本尊を返すよう求めている。

射和寺文書

2巻41通/鎌倉〜室町時代/射和町284 /竹川欽也/紙本墨書/巻子装
昭和47年4月1日県指定

本文書は、竹川竹斎が伊勢国司北畠家から射和寺に下付された古文書類を一括表装したものである。
文書中、建長7年(1255)の荒木田末守沽券文が最も古く、次いで寛正5年(1464)の雅兼書状、応仁2年(1468)の禁制などがあり、室町時代中期から後期のものが大部分を占める。
いずれも射和寺の寺領を安堵したり、寄進する内容のものが多い。
射和寺は北畠家の祈願所として庇護を受け、室町時代中期には堂塔伽藍の整った大刹であったというが、今は昔日の面影はなく、かつての境内には大日堂が建つだけである。

近世上方子供絵本

附 実用書、瓦版、紙袋、反古紙、絵巻写

10冊/江戸時代(17世紀)/射和町自治会
平成元年7月25日県指定

延宝6年(1678)、射和の商人「帯屋次郎吉」が「長九郎」という名の子を亡くし、その子の追善のために、長九郎の身の回りの絵本や手習いの反古紙類を紙袋に入れて大日堂地蔵菩薩坐像の胎内に納入したものが、そのまま現在に伝来した。
なかでも子供絵本10冊は「天狗そろへ」「どうけゑつくし」「軍舞」「牛若千人切はし弁慶」「源よしつね高名そろへ」「弁慶誕生記」「おぐら判官てるて物語」等と題簽があり、寛文期から延宝期に京都で出版された小本(タテ12cm余、ヨコ9cm余)で、現存するこの種のものでは日本最古の上方絵本であるといわれている。
なお、絵本とともに納入された実用書2冊、瓦版1枚、反古紙189 枚、絵本写1巻と紙袋2点が「附」として文化財に指定されている。