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有形文化財[彫 刻]

木造阿弥陀如来坐像

1躯/鎌倉時代/下七見町118 /安養院/像高103 cm/檜材、寄木造、漆箔像
平成7年3月13日県指定

来迎印を結ぶ結跏趺坐の漆箔像。肉髻(にっけい)、地髪ともに高く、螺髪(らほつ)は細かく丁寧、肉髻珠・白毫(びゃくごう)ともに水晶、木眼である。
目は三日月形で切れ長、豊頬で円満な面相、笑みをたたえる。
耳朶貫通し、三道を彫出。
衣文は深くかつ太く、写実的。
旧漆箔地の上に後補の漆箔を施す。
定朝様をふまえた、相好に張りのある鎌倉前期の像。
明治初年に廃寺となった下七見町勝福寺の本尊であったが、昭和28年に本院へ移された

木造薬師如来坐像

1躯/平安時代/船江町564 /薬師寺/像高83cm/檜材、一木造
昭和61年4月28日県指定

薬師寺の本尊。
与願印(よがんいん)の左手に薬壷を持ち、右手を施無畏印(せむいいん)に結んだ、薬師如来の通常の姿。
現状では高い肉髻部・地髪部に螺髪はない。肉髻珠はなく、白毫は木。木眼で半眼に開く。目尻は切れ長。面相は森厳で威を秘める。胸は厚く、胸と腹の間には豊かな肉取りがみられる。
全体に衣には深く太い皺が彫られ、左腕に翻波式の衣文や茶杓状の皺が刻まれる。
量感に溢れた堂々とした風格をもつ像で、平安時代初期(9世紀)の作と考えられる。
なお、右半身と右膝は大幅に江戸時代に補修されている。

木造阿弥陀如来坐像

1躯(中央)/鎌倉時代/中町2023/清光寺/像高87cm/檜材、寄木造、漆箔像
明治45年2月8日国指定

上品下生の来迎印を結ぶ清光寺の本尊。
肉髻、地髪ともに高く、螺髪は細かい。肉髻珠は水晶、白毫は木、頬はふっくらとして笑みをたたえる。肩なだらかで、胸の肉どり厚く、腹少し出る。衣文は左肩からゆったりと膝上に流れ、写実に富む。
各部ともバランスのとれた定朝様の仏像で、鎌倉初期の造顕になると考えられている。
なお、清光寺は浄土宗知恩院末。
寺伝では天平年間に町平尾に行基が創建したといい、天正16年(1588)松阪築城に伴い、日野町の一画に移り、元禄3年(1690)堂宇全焼の翌年、現在地に移転した。
明治33年にも火災に遭い、現本堂は明治43年の建立。本尊及び脇侍はそのとき京都からもたらされたという。

[写真中央:阿弥陀如来、写真右:観音菩薩、写真左:勢至菩薩]

木造地蔵菩薩立像

1躯/嘉元4年(1306)/新町874 /樹敬寺/像高83cm/寄木造、漆箔像
昭和62年3月27日県指定

右手を下げて錫杖をもち、左手は肘を曲げて掌上に宝珠を棒持する通常のスタイルである。
三道浅く、なで肩である点、室町時代への傾斜をもつとともに、通肩型に着した納衣等の衣文は写実的で鎌倉時代の特徴も窺える。
玉眼のあて木に「嘉元二二年」と墨書があって、造像時期の確かな仏像である。
なお、この像は樹敬寺が松ケ島町にあった頃、松ケ島の踊橋脇の地蔵堂にあったという伝承をもち、踊橋地蔵ともいう。

木造地蔵菩薩立像

1躯/平安時代/朝田町429 /朝田寺/像高169 cm/榧材、一木造
明治37年8月29日国指定

朝田寺の本尊。左手に宝珠を捧げ、右手は垂下して施無畏の印を結ぶ。眉太く、眼は切れ長でややつり上がり、鼻梁は直線的で、口を一文字に結ぶ。猪首で、肩が張り、三道・胸・両脚の肉付きも豊かで、どっしりとした森厳な面持ちの仏である。
彩色はほとんど剥落し、胡粉地が所々に残り、わずかに赤朱を留めるにすぎないが、右肩と裳裾には素朴な円花文がかすかに認められる。
榧材の一木彫成で、本体と蓮肉が一材から彫り出されており、天平末期の彫像手法を継承している。
また、両脚間の翻波(ほんば)式衣文も形式化しておらず、時代の特色をよく残した平安初期の秀作である。
なお、蓮台は樟材で、大らかな八葉の蓮弁が刻まれており、本像と同時代である。

木造僧形坐像

1躯/平安時代/朝田町429 /朝田寺/像高63cm/檜材、一木造
昭和53年2月6日県指定

彩色は剥落して一見素地に見える。
前後に長い頭部、長い眉、切れ長で大きな眼、一直線の上瞼、への字に結んだ口、広い肩幅といかり肩、太くて深い衣文、ほとんど出のない裳先、鋭角に組んだ足、床面に直角となる膝頭の線などから、平安初期の造像といえよう。
元来こうした肖像彫刻は、鎌倉時代に盛んであり、平安初期の作品はきわめて少ない。

木造阿弥陀如来坐像

1躯/鎌倉時代/下蛸路町462 /真福寺/像高87cm/檜材、寄木造
大正5年5月25日国指定

真福寺の本尊で、上品上生の定印を結び、素地のままであり、今は黒くなっているが、全面に檜材の木目が見事なまでに出ている。
肉髻、地髪とも高く、螺髪こまかく丁寧であり、肉髻珠、白毫は水晶。木眼は切れ長で伏目気味、豊頬でやや面長な顔。鼻先、小顎、乳部中央に材の芯部がくるようにしている。肩と胸に力感があるが、衣文は全体にやや大きく、浅く流れる。
前代の定朝様式のおおらかさを受け継ぎながらも、写実の確かさをうかがうことができる、格調の高い像で、鎌倉時代初め頃の造立と推定される。

木造地蔵菩薩坐像

1躯/南北朝時代/射和町365-1 /伊佐和神社/像高84cm/寄木造
大正4年3月26日国指定

右手に錫杖、左手に如意宝珠を持つ通常の地蔵像。
額部の白毫は水晶、目は玉眼、円満相でほのかな笑みの漂う庶民的な顔立ちである。
大きく深い衣のひだ、裳のかえりや衣褶のたたみに南北朝時代の特徴がよく現れ、衣の全面には蓮華唐草文、龍文、雷文つなぎ等の盛り上げ文様が丁寧に施されている。