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有形文化財[建造物]

龍泉寺山門

1棟/桃山時代/愛宕町1-4 /龍泉寺/切妻造、本瓦葺
昭和27年3月13日県指定

一間一戸の薬医門。
主柱は長方形断面で、鉄根巻きが付く。
主柱上に冠木をのせ、三斗組をおき、通肘木を受ける。
大斗上に女梁、男梁を重ね、男梁前端で出桁を支え、後端は控柱上になる。
男梁中央に斗束を立て実肘木で棟木を支える。支柱、控柱間には腰貫、飛貫を入れる。
男梁上には棹縁天井を張り、軒は一軒疎垂木(まばらたるき)、破風には異形かぶら懸魚(けぎょ)をつり、棟端には鯱瓦をのせる。
木割太く、斗組や蟇股も雄健で、桃山時代の風格を示す建物である。

来迎寺本堂

1棟/享保16年(1731)/白粉町512 /来迎寺/外陣:寄棟造、
本瓦葺・内陣:宝形造、本瓦葺
昭和63年5月11日国指定

来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間の創建と伝え、松ケ島にあったが、天正16年(1588)蒲生氏郷による松阪築城に伴い、城下の白粉町に寺地を拝領して現在に至っている。
享保元年(1716)の松阪大火の際、表門(現裏門)を除いてことごとく焼失した。
本堂は、享保13年から再興にかかり、同16年に完成した複合仏堂で、前後に並ぶ外陣と内陣を取合いで繋いでいる。
前方の外陣は桁行7間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺、前面に向拝3間をつける。
後方の内陣は、身舎(もや)の周囲に裳層(もこし)を巡らした宝形造、本瓦葺の建物。
身舎は方3間、阿弥陀、観音、勢至の三尊来迎像を配し、その背後の壁には二十五菩薩来迎図を描く。
本堂は複雑な外観をもつとともに内部の空間構成は豪壮で、意匠的にも優れており、江戸時代中期を代表する建造物である。
なお、本堂の再興にあたっては松阪が生んだ豪商三井家が深くかかわっており、再興費は8,700 両にもなったという。

朝田寺本堂

1棟/慶安5年(1652)/朝田町429 /朝田寺/入母屋造、本瓦葺
昭和54年3月23日県指定

慶安5年伊勢大湊の大工、阿部久五郎によって建てられる。桁行6間、梁間3間、外陣・内陣・内内陣をそれぞれ2間にとった入母屋造り本瓦葺、妻入りの建物である。
内内陣は一段高く、その中央に須弥壇があり、その上に建築用厨子を拵えて本尊地蔵菩薩を安置する。この内内陣にあたる2間分は、安永7年(1778)に建て増ししたものである。
その際、本堂が低く見えたのか本堂全体を30cmほどかさ上げしており、そのときの記録「本堂あげ方の図」が寺に残されている。
柱上の組物は出組、天井は折上小組格天井、妻は三カ所に木鼻つき平三斗をおいて大虹梁を受け、拝(おがみ)・降懸魚(くだりけぎょ)はともに三花(みつばな)である。地方寺院としては丁寧な造りで、桃山時代建築の遺風を残している。

朝田寺山門

1棟/慶安5年(1652)/朝田町429 /朝田寺/切妻造、本瓦葺
昭和54年3月23県指定

一間1戸四脚門で、組物は出三斗組である。本堂同様、慶安5年同じ大工阿部久五郎によって建てられている。
堅実な手法で、全体に和様を基調としながら禅宗様を随所に取り入れ、桃山時代建築の遺風を残した建造物となっている。